地獄先生ぬ~べ~NEO 1 (ジャンプコミックス)
真倉翔・岡野剛
集英社


「グランドジャンプ」21号で真倉翔さん原作・岡野剛さん作画の『地獄先生ぬ~べ~NEO』第6回「郷子の葛藤」と『ぬ~べ~復活祭』の諫山創さんメッセージを読みました!

『地獄先生ぬ~べ~』、1993年から99年にかけてジャンプで連載されていたそうなのですが、私はリアルタイムでは読んでいません。私が初めてこの真倉さん・岡野さんの作品に出会ったのはスーパージャンプに連載されていた『霊媒師いずな』だったのですが、この時も可愛い萌え系の絵とは裏腹に出て来る化け物がどれも恐ろしい感じのもので、凄い作品があるものだなあと思っていました。

しかし私が『進撃の巨人』を読むようになり、諫山さんが「影響を受けた作品」ということでいつも第一にあげている『地獄先生ぬ~べ~』が、真倉さん・岡野さんの作品だと知り、なるほどもともとがそう言う作風だったのだ、ということを知ったわけです。ちなみに、「いずな」自身が「ぬ~べ~」に出てきたキャラクターだそうで、そう言う意味では「霊媒師いずな」は「地獄先生ぬ~べ~」のスピンオフ作品だったのですね。

『NEO』では舞台は卒業生の郷子(きょうこ)が先生として主人公の鵺野(ぬ~べ~)の同僚となって童守小学校で働いています。郷子はぬ~べ~に憧れて先生になったのですが、大人の世界のあれこれにちょっと疲れ気味。そんなときに生徒が階段から突き落とされる事件が起こり、それをちらっとみた郷子はいじめだと確信します。しかし、ぬ~べ~も校長もいじめはなかった、というので大人の世界は汚い、と思い込み、ぬ~べ~の制止も聞かず自分で真相を突き止めようとします。

しかし、実はそれは「タカサゴ」といういじめっ子の霊が悪霊化したものの仕業でした。間一髪、タカサゴに窓から突き落とされそうになっていた郷子をぬ~べ~が救います。「俺の生徒に手を出すな!」がキメ台詞なんですね。

この「タカサゴ」の霊が怖い。普通の小学生の体型なのですが、顔が福笑いになっています。その不気味な霊が郷子にまつわりつき、窓で「さあ飛べ、飛べよ、ダイビーング!」などと突き落とそうとするわけです。

しかしぬ~べ~は右手にお経を持ってそれを広げて悪霊にぶつけ、「俺の生徒に手を出すな!」と叫んだかと思うと、飛びかかってくるタカサゴに「強制成仏!」と叫んで左手(これも怖いですが悪霊を撃退する力を持った「鬼の手」のようです)を出すとそこから光のようなものが放たれ悪霊を撃退してしまうのですね。

そしてぬ~べ~は「本当のいじめなら俺も校長も決して隠蔽などしないよ。この学校にはそんな卑怯な教師は一人もいない。いい職場だ、安心して働け」と郷子にいうのでした。

シンプルな分かりやすいお話ですね。

評判を読んだ作品で、いろいろ見所はあるようなのですが、やはり注目したいのは霊の描写だと思います。

この号のグランドジャンプでは「地獄先生ぬ~べ~復活祭」と題してメッセージ&イラストが6ページに渡って掲載されているのですが、『進撃の巨人』の諫山創さんがメッセージを、「俺物語!」のアルコさん、「東京喰種」の石田スイさん、「テラフォーマーズ」の橘健一さん貴家悠さん、「暗殺教室」の松井優征さんが「イラスト+コメント」を寄せています。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)
諫山創
講談社


その中でも、他の方たちはみな集英社の雑誌に描いてるマンガ家さんなのに、諫山さんが一人だけ講談社の『別冊少年マガジン』に描いているマンガ家さんで、やはり一人だけ別格という感じなのですね。おそらく、諫山さんがインタビューでことあるごとに「ぬ~べ~」について語っていたということが大きい(復活したのもひょっとしたらそのお陰もあるのかもしれません。そうなると「恩返し」みたいな感じですね。)と思いますが、大切なゲストとして扱われている感じがします。

諫山さんが「ぬ~べ~」に遭遇したのは小学校低学年のころだったそうで、「ブキミちゃん」というキャラクターが自分の夢の中に出てきたらどうしよう、ということに真剣に怯えたりしたのだそうです。

このブキミちゃんというキャラ、絵で見る限りでは整形を繰り返して怖い感じになったころのマイケル・ジャクソンがモデルなんじゃないかと思うのですが、本当に不気味です。

そして、諫山さん自身がよく語っているのですが、諫山さんの描く「巨人の怖さ」の元になっているもの、その恐怖の正体は「ぬ~べ~」の「人食いモナリザ」というキャラが、絵から飛び出してずらりと並んだ歯で人を噛み砕く、という場面だったのだそうで、そのことに、『進撃の巨人』連載三年目のある日突然気がついたのだそうです。

「あの行動と結びつかない微笑!そして歯!
 牙ではない人間の歯!
 巨人の描写には様々な作品の影響がありますが、
 大元のコンセプトは「人食いモナリザ」だったのです。」

なるほど。そして、

「モナリザが掲載されている巻を読んで(読み直して、ということでしょうね)以降、
 巨人を描いても以前より怖いと感じられなくなりました。
 それは、今までは無意識に恐怖の正体を追い求めて描いていたのに、
 その恐怖の正体が判明し、
 現在の大人の感受性で
 認識してしまったからです。」

のだそうです。

つまり、子供の頃に読んでトラウマに感じた経験、「小学生のときぬ~べ~から受けたトラウマは特別で尊いものでした。」というのですね。それが「進撃の巨人」の原点になっていると。

確かに『進撃の巨人』も巻を追うに従って絵も上達してきて、ストーリーも整理されて分かりやすくなってきていますが、当初のわけの分からない迫り来る恐怖感、「これは誰も逃れられない」と感じさせる不条理な圧倒のされ方、心臓が締め付けられるような圧迫感は少なくなってきていますよね。それは諫山さん自身が自分というものを客観的にみられるようになってきたということがおそらく大きいのでしょうね。

いろいろ考えることはあるのですが、作品と未来の作家の出会いがとても貴重なものであることが、分かるエピソードだったと思いました!