アンダーカレント アフタヌーンKCDX/講談社

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豊田徹也さんの『アンダーカレント』を読みました。(1)いなくなったあの人は、本当は私のことをどう思っていたのだろう。

この作品は、とても好きな作品です。

いつもなら、ですます調に直して書くのですが、今回は読んだときに感動して書き留めた、そのままの言葉を下にそのまま書いてみたいと思います。2012年のことです。

豊田徹也『アンダーカレント』(講談社アフタヌーンKCDX、2005)読了。この作品はネットで見つけ、アマゾンで注文して数日前に届いた。誰か、確かとある女優がこのマンガのことを好きだと言っていて、その人が一緒に挙げていたもののセンスがよかったから、きっとこのマンガも面白いだろうと思って買ってみたのだけど、想像をはるかに超えていた。

いや、こういう表現は難しいなと思う。私にとって、これだけ心の中に入ってくる作品、というか心の奥深いところに流れるもの、からだの奥にある鈴を鳴らしてくれる作品はここのところなかった、というべきだろう。私にとってこれはものすごくいい作品なのだけど、誰にとってもそうかとは言えないだろう。客観的に見ても素晴らしい作品であることに間違いはないが。

2011年もいろいろなものを読んだり見たりした。そしてそのたびに心の中のいろいろな部分が震えたりするわけだけど、この部分を震わせてくれたのは、そう、たぶん2010年に読んだレベッカ・ブラウンの何冊か以来ではないかと思う。

何度も何度も反芻する。一度読み終えたあとも、何度も場面を振り返る。最後まで読み終えた後、意味が分からなかった場面の意味がわかって来る、それはいい映画を見たときによくあること。アマゾンに載せられた評価で谷口ジローが映画を超えた、みたいなことを書いているけど、確かに映画的でもある。しかし単に映画的なだけではなく、印象的なダイアローグが多いことから演劇的でもあるし、そしてやはり漫画的である。ギャグの使い方はマンガの王道を行っている。ドジョウの場面などサザエさんだ。

ある意味フランス映画みたいでもある。「あの人は、本当は私のことをどう思っていたんでしょう。」失踪した夫への、その問いかけを軸に話は進む。私はあの人のことを分かっていたのだろうか。あの人は私のことを分かっていたのだろうか。年間10万人も失踪するというこの現代において、人が一人いなくなるということはどういうことなのか。ぼんやりして行く記憶。そしてその記憶はさらに深いところにしまわれたいなくなってしまった少女の記憶に結び付き、物語はその少女の不在をめぐるところで展開していたことが徐々に明らかになってくる。アンダーカレント、心の底を流れるもの。

その(2)に続きます。