梅酒 (マッグガーデンコミックス アヴァルスシリーズ)/幸田 真希
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幸田真希さんの『梅酒』を読みました。


この作品の表題作「梅酒」は、すごく簡単にいえば好きになった人には家族がいた、という話です。主人公が十四歳、そして相手がメガネをかけて怖そうなおじさん。


繁華街で一人でいる主人公を、ほっとけないと思ってつい声をかけてしまった五十がらみの男やもめの公務員・古畑と、彼の家についてきてしまった十四歳のゆえ。ゆえは、家に入ってから急に公開してしまうのですが、思いがけず優しい言葉をかけられて自分の行動を反省します。そして、古畑がひとりつぶやいた詩を聞いて、「高村光太郎ですよね」と言うと、「君くらいの年の子がこんな詩を読んでいるとは思わなかった。大したものだ」と言われます。そのことばに故は感動し、「全然知らない人からこんなふうにすごいねと言ってもらったのって私、はじめてなんじゃないかなあ」と思ってしまうのです。


それからゆえは古畑の家に出入りするようになります。買い物をしたり、ご飯をつくったり。そして光太郎の詩について古畑と話をします。すると古畑はゆえに詩を書くことを勧めます。


引っ込み思案だったゆえはそのことを誇らしいと強く思います。そして、自分たちの関係を誰かに話してしまいたいと思うようになります。


しかしあるとき古畑が、ゆえのことを古畑の娘と同じように見ているということを知り、舞いあがっていた自分をあさましい、恥ずかしいと激しく責めてしまうのです。そして、もう古畑の家に行くのはやめようと思う。でも、最後にもう一度だけご飯を作らせてくれ、と言って買い物をして帰って来た時に、古畑の部屋の前には別れた妻と娘が立っているのです。


「厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かお)りある甘さをわたしはしづかにしづかに味わふ。狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の世界の叫もこの一瞬を犯しがたい。」


光太郎の生硬な文体の詩が、少女の大人の男への思いと重なり、ほろ苦さと芳しさを増すのです。


「あの瞬間、私は永遠の酩酊を得た。」ゆえは口ずさみます。「私の幸福(おもいで)は梅の香りと共にある」と。


この作品は単行本の表題作なのですが、強く印象に残りました。褒められたことへの誇らしい思い、すべての人に告げたいという激しい胸の高まりと、思い人と思ってくれていると勘違いしたと思ったことへの激しい羞恥心。いつの世にも変わらない少女の大人の入り口での戸惑いが、光太郎の文体の青さとあいまって、思いがけないエロスを描き出しているなあと思います。


本当には、古畑が何を考えていたか、どう感じていたかは分かりません。古畑の役所の引き出しには、女の子の写真が入っています。これがゆえの写真なのか、それとも自分の娘なのか、読むものには分かりません。この作品には完成した、完結した世界を感じました。


この本は、千駄木の往来堂書店で見つけました。書棚つくりに力を入れている本屋さんで、時々しか行けないのですが、いつもいい本を見つけることができます。


読んだのは去年の今頃なのですが、今でもその時の感触が甦ってきます。お勧めの作品です。