しばらく前の記事なのですが、ウェブマガジン「white-screen」 で『進撃の巨人』の作者、諫山創さんのインタビューを読みました。「世界観」というものについて考えさせられるものでした。


諫山さんは、作品に深く影響を与えたものは何か、と聞かれて「ニュース」だ、と答えているのです。それはどう言う意味かというと、彼の10代の頃はいわゆるネトウヨ(ネット右翼)全盛の時期で、当時の世の中の雰囲気に影響されている、ということなのです。


諫山さんは、世代というのはかなり細かく分かれているものだと思う、といいます。そして、そのひとつひとつの世代ごとに「敵」がいると思う、というのです。


そしてネット右翼時代の諫山さんたちの世代の敵は、「情報を握っているもの、発信する情報を操作するもの」だった、というのです。つまり、諫山さんたちの世代は「この世界は、誰かがメディアを使って自分たちの都合のいいように情報を操作している」と感じていて、「そういう不信感を必要以上に持っている世代」なのだというのです。


これはなるほどと思います。『進撃の巨人』の世界では、とにかく情報が慢性的に不足していますね。巨人とは何か、どう戦えばいいのか、という根本的な情報を求めて「調査」兵団がいのちがけで戦い、多大な犠牲者を出しています。一方で誰か、姿のはっきりしない「敵」は、すべての情報を握っているらしく思えます。その圧倒的な情報格差の中で、兵士たちはあえなく巨人に食われて行くのです。その絶望の深さの裏にあるのが、「情報を握るもの」への深い不信にある、というのはすごく納得できるものでした。


今でもネット上でそういう視点からの言葉はよく見ることが出来ます。しかし、その標的にされているのは政府などの権力側ではなく、新聞やテレビに代表される「マスコミ」こそが、その情報操作の諸悪の根源だと考えられているようです。ですからその当時、あまりいい言い方ではありませんが、マスコミを「マスゴミ」と呼ぶ言い方が当時かなり広まりました。


それはもちろん、そう思われてしまうだけの理由があるからでもあるのですが、マスコミの側もそれに有効な反撃を打てなかった、というか相手にしなかったためによけいある世代の思い込みがきつくなって行ったということはあると思います。


つまり、諫山さんたちの世代の世界観というのは、言わば「マスゴミ的世界観」なのです。そしてそれが私の心にもヒットするということは、そのあたりについての不信感、世界の本当の姿が見えないことへのもどかしさみたいなものについて、私も似たような思いを持っているということでもあるなと思います。


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もうひとつ諫山さんが「影響を受けた」と言っているのが「マブラヴ・オルタネイティブ」というゲームです。「マブラヴ」には特に作り手の姿勢に影響を受けた、といいます。どう言う姿勢かと言うと、「“お客様”に楽しんでもらおうとか、いい気持ちになってもらおうというんじゃなくて、嫌な思いをさせてやろうとか、トラウマを負わせてやろうとか、そういう姿勢」なのだそうです。


これにはすごく驚きましたが、よく考えてみるとかなり深いところをついていると思います。人は本当には、「楽しませてもらう」ことを求めているのか、という問題です。本当は、人は深いところではもっと傷つけられたり、トラウマを負ったりすることを求めているのではないか。そんなことは考えたこともありませんでしたが、言われてみると結構頷いてしまうところがあります。「ぬ~べ~の人食いモナリザもそうなんですけど、トラウマですよね。その時は本当に困ったんですよ。怖くてトイレにも行けなくて。でもそれが財産のように感じるんですよね。」と諫山さんは言っています。


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トラウマこそが財産!たぶん死ぬ時に思い出すのは、その地獄のようなイヤな体験から抜け出した時のことだろう、と諫山さんは言います。そして『進撃の巨人』で成功した今、「生活できるかどうかの危機感はなくなったかわりに、そういう危機感の感覚自体を失ってしまう危機感」がある、のだと言います。それはすごくわかる気がしますね。


ただ、諫山さんの意識も最近大きく変わってきたところがあるのだそうです。とても大きかったのが、アニメ化の成功によって飛躍的に幅広い層に受け入れられるようになったこと。つまりこのままトラウマを負わせてやろう系の方向で行っていいのかどうか、ということを考えているのだそうです。ラストも最初から決めてはあったのですが、そのままでいいかどうかも迷っているのだそうです。


アニメという多くの人が制作に関わる事業に参加することで、今まで持っていなかった新しい視点を獲得し、作者自身の意識も変化していく。それが物語にどういう影響を与えるのかは分かりませんが、面白いなと思いました。


「マスゴミ的世界観」と「財産としてのトラウマ」という発想がそれぞれとても面白いと思いました。しかし何というのかな、そういうものに私自身がすごく共感できてしまってなんだか困るなあと思います。


もちろんトラウマは避けたいものです。諫山さん自身も「巨人」のモデルになったネットカフェ店員時代の酔っ払いのおっさんの客なんてものは関わりになりそうになったら全力で避けるそうです。しかし、「その傷の生々しさ」が制作の源泉になる、ということはやはりあるだろうなあと思います。それが単なるトラウマ語りではもちろんつまらないのですが、 生々しさのないものにはやはりなかなか人は魅かれていかないだろうと思いますしね。


このインタビューは、諫山さんが持っている深い世界と、人間というもの、物語を求めるのはどういう気持なのか、人は本当には何を望んでいるのかといった思いもかけない問題について、いろいろ考えさせてくれるものでした。