聲の形(1) (少年マガジンコミックス)/講談社
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大今良時さんの『聲の形』第1巻を読みました。いろいろなところで話題になっている作品です。


これはハードな話でした。以下、ネタバレと言えばネタバレになりますが、ネタバレだと台無しになるとかそういう次元の作品ではないですね。


6年生のお調子者の男子が、転校してきた聴覚障害者の女の子に、純粋な興味と退屈しのぎからちょっかいを出していくうちにどんどんエスカレートして、ハードないじめになってしまう、そのブレーキの利かなさが凄いです。


子どもというものは、「自覚した悪意」というのを必ずしも持っていないので、軽い気持ちでやっているうちに取り返しのつかないことになってしまうことがよくあります。私自身の子どもの頃を振り返ってみても、そういうことがなかったと言いきる自信はありません。


男の子の行為が公に大問題になると、今度は彼自身がものすごいいじめの対象になってしまいます。見て見ぬふりをしていた自分たちのやましさと突っ走ってしまった彼に対して「自分とは違うやつ」だと決めつけたい思い、があるのかな、と思いました。


彼女は転校してしまい、残った男子は一人ぼっちになります。中学生も高校生も一人ぼっちのまま過ごし、高校3年になって、ついに死を決意します。そして最後に彼女に会いに行くのです。


第1巻はここまでなのですが、彼自身が一番自覚がないのだけど、周りの子どもたちや先生たちにはある意味「意識された悪意」があります。それは女の子のお母さんにさえあります。


彼がどういう気持ちで彼女に会いに行ったのか、そして訪ねてこられた女の子はどう感じたのか。これは、ここまで読んだ範囲では、まだ分かりません。果たして第2巻には何が書かれているのか、怖いような読みたいような展開です。


この作品が掲載された少年マガジンがあっという間に店頭から消えたというエピソードがあります。「いじめ」という問題だけでなく、「人の心の怖さと純粋さ」というものが、人の心に訴えかけるものの大きさが反映されているのでしょう。


いじめる側、見ている側、それを取り巻く大人の側にある何かとてつもない歪み、いじめられる方の思い、未熟な表現しかできない子どもたち、していいことと悪いことの区別が分からないままエスカレートしていくのをただ見ている読者の側に募って来る背徳のドライブ感と、そういう行為をとる以外の行動の仕方が分からない主人公の乾いた哀しみ。


私自身の学校時代にはそう深刻ないじめはなかったのですが、このマンガで一番突き刺さるのは、担任の教師が「俺に迷惑がかからないようにしろ」という場面です。いじめというものに対する逃げ腰な感覚。それは人生というものを生きていく中で、さまざまにぶつかって来る困難にたいして、つい感じてしまうあの感覚に似ています。


その時、きみは、どうするのか。感じたままに動けなかった自分にいいわけをするのか、それをやりなおしてみようとするのか、感じたままに動ける強さを身につけるために努力するのか。

いろいろなことを考えさせられる作品でした。