アニメ「正反対な君と僕」の第1話を見た。第1話はアヴァンが長く、かなり状況説明的にいろいろなキャラの朝の様子を出してきて、主人公の鈴木の原作での最初のコマに繋がり、マツエクとかマスカラの話を渡辺と佐藤としているときに隣の席の谷に無茶振りする、という原作通りの展開になり、「正直、大好きです」というモノローグでOPに入るという展開は見ていてちょっと感心してしまった。

 

作者の阿賀沢紅茶さんの少し個性的な絵柄も忠実に再現されていて、これは見ていてかなりアガる。今期のアニメの他作品を見ていて絵柄がいわゆるアニメ絵寄りになっているものがあり、ちょっとがっかりしたので、特によかったと感じた。鈴木の声は最初は少し意外だったけどだんだん気にならなくなったのだが、谷の声が良かった。ぼそっという返しの絶妙さというか、鈴木の話しかけに「聞いてんのかな?」と思い始めるような絶妙なタイミングで返ってくるのを聞いてると、この「間」こそがこの作品の魅力なんだなと初めて気がついた思いがした。

 

偶然放課後昇降口で出会い、勇気を出して声をかけて一緒に帰ることになって、鈴木の好き好きオーラもあるけど谷が鈴木の手を握り、「夢?」と思うところなどは何というか気持ちが通じるという瞬間はこういうものだよなあと思ったり。興奮して眠れず返って寝坊して慌ててリビングに降りると朝ごはんと書き置きが置いてあって返って落ち着いて、ばっちり化粧してから出かけたのなら多分もうお昼休みかなと思ったり。

 

ピンク髪でばっちり化粧、爪もピンクでキラキラギャルな鈴木が実はそれまで無遅刻無欠席の健康優良児だったというのも面白いのだが、谷と歩いていたところを山田にいじられて「そんなんじゃないから!」と言ってしまった途端に谷が現れ、言い訳できないまま放課後に谷に「昨日のこと忘れて。ごめん」と言われる展開から、「私、谷くんのことが好き」とみんなの前でいい、「片想いしてんの。で、昨日一緒に帰ろうって私が誘ったの。それって、何かおかしい?」という時の鈴木の顔が何とも言えず、こうした表情が本当に原作通り再現されているのがとても良い、というか愛おしいものを感じた。

 

そして佐藤や渡辺や山田に背中を押されて谷を追いかける鈴木が、「なんだ。自分の気持ちをいうのってこんな簡単なことだったんだ」という場面の音楽や演出がよく、原作では「言いたいことはわかるけど気恥ずかしい」みたいな感じで読んでいた部分が「そうだよなあ」と思えて、アニメになってさらに良くなった部分だなと思う。

 

 

 

 

そこから先は最後までとてもよかったけれども、原作1話、というか実はジャンプラでも元々は読切で2021年に掲載されていた部分までがフルでアニメでも第1話になっていて、とてもよかった。原作で44ページ分、アヴァンでキャラ紹介、本編では心理描写を丁寧にしてちょうどこの時間で収まるのだなあと思う。来週以降の分がどのような構成になるのかはわからないが、とても期待が持てる作品だなと思った。

 

読み切りから考えるともう5年前のマンガが今アニメになっても十分面白いというのは、いいものはいつ読んでも(見ても)いいのだなあと改めて思ったりした。

マンガ・アニメだけでなく大河ドラマ他、映像作品等についてもこのブログで書いていきたいと思います。

 

https://www.nhk.jp/g/ts/P52L88MYXY/

 

11日の夜は「豊臣兄弟」の第2回「願いの鐘」を見た。前回は兄・藤吉郎の中に潜む冷酷な恐ろしさみたいなものに気づいた小一郎だが、今回は幼馴染の直が祝言をあげるという日に家に帰ったら直が祝言を嫌がって逃げてきたかと思ったら、村が野盗に襲われ、さらに鉄砲を撃ったりするより強力なのが押し寄せたから、これは今川勢なんだろうかと思っているうちに祝言の振る舞い酒を一緒に飲んでいた百姓仲間が首を斬られて死んでいたり、小一郎が慟哭していたらそこに藤吉郎が現れて再び清洲に来るように誘ったり、自分がいなくなったら母も姉も妹も困るという小一郎に姉のともが実は婿を取ると言い出したり、藤吉郎の「盗み」は自分の薬のためにやってくれたのだと母が仄めかしたり(本当は違った)して清洲に行くことを後押ししたりするのだが、どうも惨事の後にしてはこのファミリー明るすぎるなという感じで、なんとなくファンタジーっぽく見えてしまった。

 

結局小一郎が直に一緒に来てくれということになり三人で清洲に出て行くことになるわけだが、仲間の死の慟哭からの侍になることを決める流れがわかりにくかった。信長=領主に対する不満を並べたてる小一郎に四の五の言わずに来い、という藤吉郎の主張はわからなくはないが、百姓であることの限界みたいなものを悟ったのか、あるいは本当はもともと侍になりたかったのか、もしそうならそれはやや説明が足りない気はした。

 

ドラマの時期としては信長の岩倉城攻めが出てくるから永禄2年(1558)ということになり、ともは1534年生まれとされているから24ということになる。藤吉郎は21、小一郎は18ということになる。ともは1568年に秀次を生んでいるのでそこから10年後ということになり、この時入婿したのが後の三好吉房なのかはよくわからないが。

 

https://www.steranet.jp/articles/103717

 

と思っていたら上の文章を読むとやはりこの時結婚した弥助はのちの吉房だったようで、役名も出てくるのでこの後劇中でもいろいろな活躍はあるのだろう。

 

小一郎秀長が信長に仕えた具体的な時期はよくわからないようだが、藤吉郎秀吉が信長に仕えたのはWikipediaによれば1554年ごろだとのことだが、「明智軍記」によれば「盗賊の疑いをかけられた秀吉が発憤して盗賊を捕らえ、それを知った信長が自らの直臣に取り立てて30貫文を与えた」という1話のエピソードが出てくるが、これは1562年のことだそうで、この辺りはいろいろな話を混ぜて物語を成立させているのだなと思った。

 

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/01/11/articles/20250521s00041000123000c.html

 

こちらを読むと最初に村を襲ったのは「野盗」だが、その後にきた鉄砲を使うより凶暴な集団は「野武士」とのことなのでなるほど戦国時代の農民はいろいろ大変だなと思ったが、少し調べてみると彼らの出身地である中村は今は名古屋市西部だが、当時は「中村郷」の一部で上中村、中中村、下中村とあり、そのうちの中中村であったようだ。AI調べなのでそんなに当てにはならないが、当時の尾張の支配は中世荘園や国衙領の郷村の支配を超えた形で村落が形成されていたとのことなので、農民がどういう形で定住していたのかとか、もう少しこのあたりの郷土史を読み込まないと難しいなとは思う。

 

彼らのファミリーが近年の研究にあるような村の中でも一定の上位層の出身なのではないかというあたりも藤吉郎は勝手すぎるし小一郎は卑下しすぎているのでこのドラマでの設定はよくわからないところがあり、とはいえ小一郎が銭を貯めるのに熱心な描写があり、貨幣経済が相当発達していたのだろうことは察することはできた。

 

また、村の描写が近くに山があるように描かれているが中村は広大な濃尾平野の一角であって「あれじゃ守山だ」という声をTwitterなどでも読んだが、広大な平地では絵にしにくいのだろうなとも思ったのだけど、平地だからこそ野盗や野武士の襲撃には弱いということもあるわけで、そのあたりも実情に即して描いた方が良かったのでは、という気はした。

正月四日の夜になんとなくテレビをつけたら大河ドラマの時間だったので、「豊臣兄弟」の第1回「二匹の猿」を見ようかどうか迷いながら見ていたのだが、結局最後まで見てしまった。面白かった。

 

 

 

 

大河ドラマはここのところちゃんと見ているのは「真田丸」「鎌倉殿の13人」の二本だけで、最近の「光る君へ」とか「べらぼう」とかはどうも意識高い系の匂いがして結局ほとんど見ていないのだが、今回は豊臣秀長が主人公という変化球ながら王道の戦国ドラマということもあり、いろいろ面白く見られたと思う。

 

織田信長が北条義時の小栗旬、兄弟の姉・ともが義時の妹・実衣を演じた宮澤エマなど大河常連勢が主役の中野太賀・池松壮亮の周りを固めているという感じでよかった。キャスティングは流石の豪華絢爛という感じではあるが、小一郎の幼馴染の「直」役の白石聖が突出した存在感があった感があった。この人は直前に降板した女優さんの代役だそうだが、大河の代役ではねる人は多いので、ブレイクするのではないかという感じがした。

 

宮澤エマは宮澤喜一元首相の孫、斎藤義龍役で出て来たDAIGOは竹下登元首相の孫だということはよく知られているが、ナレーションを務めた安藤サクラも犬養毅の曾孫だとのことで、そういう意味でもいろいろ面白い。なぜ政治家の子孫は俳優になるのか。

 

ドラマとしては村で苦労している小一郎一家と幼馴染の直の関係が描かれ、小一郎は幼馴染の直のピンチを機転で救うが、そこに「放蕩息子の帰還」的に藤吉郎が返ってきて、小一郎や姉妹には冷たくされるが母親は受け入れてくれる。という感じで主要登場人物たちのキャラクターや人間関係を描くのが初回、という意味では間断なくドラマが進んでよかった。母なか、姉とも、妹あさひの「豊臣家」の女性陣が面白いのはちょっと鎌倉殿の北条家っぽかった気はするが、大黒柱の父親が不在なところが大きく違う。彼らに加えて寧々役の浜辺美波、直役の白石聖というのが「豊臣一家」という図式になるのかなと思うけれども、この配役はわくわくするなと思った。

 

ドラマとしては藤吉郎と清州に出かけた小一郎が普請で才能を発揮し、それをお忍びで参加していた信長に認められるとか、盗みの疑いをかけられた藤吉郎の疑いを晴らすために小一郎が次に襲われる屋敷を予想して張り込み、泥棒だけでなくスパイを見つけ出すとかの展開だったが、藤吉郎に握り飯をくれたりした料理人の男が実はスパイだということが分かり、恩人だからという躊躇も一切なく藤吉郎が斬り捨てたところで小一郎は兄に対する畏怖の念を抱く、というところで終わっていた。

 

ドラマとしては大変ウェルメイドだったと思うが、藤吉郎の承認欲求の強さ、みたいな表現がまあ現代的だったと思うし、今読んでいる先崎彰容「知性の復権」(新潮新書)でもそのあたりのところに触れていたのでうーん、と思うところはあったのだが、現代的な秀吉解釈としては面白いとは思った。承認欲求モンスターとして突っ走る秀吉ではなく、その弟で補佐役の秀長を主人公にするという設定自体がある意味現代的だなと思ったし、ずいぶん地味な人を主人公にするのだなと当初は思ったのだけど、秀吉のモンスターぶりを身近な人の立場から思う存分書く上では秀長は確かに適役かもしれないと思った。

 

これまでもたとえば「おんな太閤記」のように寧々(お寧)の立場から書いたりするものはあったし、また戦国を描けば秀吉は必ず巨大な存在として出てくるわけだけど、妻でも武将でも家来でもなく身内の立場からというのはコロンブスの卵なのだろうなと思う。

 

今回は1年付き合いそうな感じになってきたので、楽しみにしたいと思っています。