それが当たり前の”景色”に
なっている。
そういうものが、
実は家の中にたくさんあるようだ。
よーく考えてみたり、
人から見ると、
どうしてこれがここにあるの?
だったり、
これって使うの?だったり。
その一つがエアメール。
レターセットを整理したところに
来客があったので、
「ほら!こここんなに綺麗にした」
と褒めてもらいたくて見せたのにw
きれいに束にしておさめてある一筆箋に
「こんなに一筆、書きます?」
プレゼント用のリボンシールに
「こんなに使います?」
そして当然のように置いていた
エアメールの封筒に
「エアメール・・・最後いつ書きました?」
・
・
・
確かに。
いちいちそうやわ。
一筆。こんなに書かない。
プレゼントシール、こんなにいらない。
エアメール、今はメールで事足りる。
なんだったらこの便箋、
大学時代に買ったものだ。
ということで、
整理が一巡したら、
次は誰かに(彼女に。笑)入ってもらって、
他者の視点で
ばっさりいってもらうのは、
大いにありかも。
でも、
母校愛がそこそこ強いのか、
この便箋を捨てるのは勇気がいります。笑
明らかに不要なものを処分する段階は、
ある意味楽だったけど、
よーく考えてみる必要があったり、
処分の方法が簡単ではなかったり、
面倒だったりするものは、
気持ちが折れがち。
使わなすぎて休眠口座になってしまっている、
旧姓の、中国地方にしかない銀行口座の解約とか、
かなり厄介で、
古いiPnone
古いデジカメ
大量のCD
買ったけど着ていない新品のコート
使える文房具
雑貨
本
古い着物や帯
簡単には捨てれないものが続く。
置いておく場所がないわけでもないから、
今まで置いていたけれど、
でも
お役目が終わったものを
宙ぶらりんに置いておくのも、
いらないと思っているのに
見て見ぬふりをしているのも
もう心地が悪いので、
手間暇かけても1つずつ。