前回、次男と父が重度の要介護者になったことを「大変だとは思っていない」

と、書いたのですが、それは現在の時点での気持ちです。

 

次男は、ある晩いきなり高熱がでて、そのまま寝たきりになってしまったので、

当時は突然暗い穴に突き落とされたような気持ちでした。

父は、風邪をひいたり怪我をしても病院に行かず自力でなおすような元気な人だったのに、

認知症の症状が出始めて薬を飲むようになってから、だんだんと話せなくなり、歩けなくなり、食べられなくなっていきました。

 

次男も父も、命の危なかった時期が何度もありました。

父が手術した日に、次男が危篤になったこともあり、

その時はいつ食べていつ寝たか覚えていません。

 

(元気だった頃)

 

介護は誰にでも起こりうることです。

高齢の方でも、お元気な方はたくさんおられます。

誰も介護を受けるような生活を送りたいとは思わないでしょう。

 

「人の世話になるくらいなら、早く死にたい」という、

いわゆるピンピンコロリが理想と言われる人が多いですが、

それは奇跡に近いことだと思います。

 

特に老いはゆっくりとやってきます。

気が付いたときには、自分の意志を伝えることができずに、

延命治療をどうするかで家族は悩まなければいけないかもしれません。

 

 

このような話は、あまり聞きたくないと思いますし、好んで話す人も少ないでしょう。

でも、環境問題などと同じで、目をそらして問題を先送りすればするほど、

解決しにくくなっていきます。

偉そうに言っていますが、私自身は先送りしてしまって、たくさん後悔しています。

 

次男のために、もっと出来たことがあったんじゃないか?

 

父が食べられなくなったとき、胃ろうを選択したのは、果たして本当に良かったのか?

 

 

「これが正解」という、答えはありません。

だけど、考えたくないことから逃げずに、受け止めて、飲み込んで、迷って、後悔して、

でも、考え続けて行動することで「大変だと思わない」ようになっていきました。

 

頑張っているときは、「頑張れ」と言われるとしんどいです。

「こうしたら」とか「こう考えてみたら」とか言われるのも辛いです。

かといって、放っておかれるのも悲しいです。

そんな人に、そっと寄り添っていけたらいいなと思います。

 

 

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