たまゆら

よく、「生まれてくる前に自分の人生を決めてきている」というようなお話がありますが・・・

神社仏閣にお参りをしている時、「私達の天命が完う(まっとう)されますように」と祈ることが多々あります。
こんな時、自分自身の心の中では「きっと今の現状よりもワクワク、ドキドキするような人生があるはずだ!」「自分には何か特別な使命があるのではないか?」等と考えたりしている訳でして・・・
これって驕りかも???
もし自分の人生を自分で決めて生まれてくるのなら、自分が望むと望まないとに関わらず、現状の人生が自分の天命かもしれない訳ですよね。
もしかしたら、自分の天命は「事故死」だったり「病死」だったり「自分の望まない生活」だったり、そういう設定をしている場合もあるのかもしれません。
本当の意味で、「天命が完うできますように」と祈ることとは、自分が望んでいる「夢のような人生」の到来を望むのではなく、自分が望むと望まないとに関わらず人生を歩んでいく上で生じてきた「出来事」を受け入れていくことなのではないだろうか?