皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。
あるお坊さんがご法話をされました。
お話しが終わり、そのお坊さんは控え室で休憩をされておられます。
そこにお母様が挨拶に行かれます。
「この度はご住職様、大変有難いお話しを有難うございました。娘にとって耳が痛くなるような話だったと思います。本当に有難うございました。」
次に、娘様が控え室に挨拶に行かれます。
「この度はご住職様、大変有難いお話しを有難うございました。母にとって耳が痛くなるような話だったと思います。本当に有難うございました。」
仏法とは他の誰でもない、この私に問いかけていくべきものではないでしょうか?
どんな法話も自分事としてお聴かせいただくのです。
あの人にとってだとか、この人にとってだとか、他人事にしていては、聴いているようで聴いていないのです。
よく、このような言葉を耳にします。
「子供は聴いていないようで聴いている。大人は聴いているようで聴いていない。」
まさにそうだと思います。
年齢問わず、どんな話しも自分事にお聴かせいただきましょう。
南無阿弥陀仏