Ⅳ「神話の力」動画の見方 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「神話の力」動画の見方

4-神話の力「死と再生」要約コメント

「死と再生」キャンベルが熱く語っているのは「至福」についてです。原題は“Sacrifice and Bliss”(犠牲と至福)です。

日本語翻訳者・編集出版社の「意図」「思惑」が見え、見えの「自我機能同期現象」です。

書籍の読者・動画の視聴者たちは気づけずに「付着」し「刷り込み⇒刻印付け」られ歪曲化された情報の鵜呑みが循環しています。「メディア情報」「インターネット情報」とは常に「意図」「思惑」に満ちているお話し循環です。

実例⇒毎日のニュースでインタビューする記者たちの「質問」は常に愚考に満ちた「インタビューごっこ」です。

この事に気づけ無いのが「自我機能同期」の茶番劇の現実現象です。毎日の日常で観察されているコミュニケーションの全てが「意図」「思惑」の世界です。

「スターウォーズ物語」の「フォースと共にあれ」のフレーズも同じ「意図」「思惑」です。ジョージルーカスの「意図」「思惑」です。

「フォースと共にあれ」は「神と共に」「愛と共に」「仏と共に」「空海と共に」「日蓮と共に」「師匠と共に」「大日如来と共に」「イエスと共に」「題目と共に」「念仏と共に」

「言葉」「文字(イメージ)」遊びの循環現象です。

 

何でもかんでも「〇〇〇と共に」と言う「対象化」「モノ化」「擬人化」「象徴化」する「自我機能同期」の限界を示しているとは気づけ無いのが人間の意識現象です。

 

だから、死ぬ間際に「こんなはずじゃなかった」との思いが湧き出て来るのです。

「フォースと共にあれ」とはルーカスが作った「不安の補完用語」でしかない事に気づかないのが「情報の受け手」の方々です。

 

あえて言い直すならば「ウツシ・転写と共に」「我が身と共に」「ナマミと共に」です。

再度言い直すならば、対象化せずに、既に完全・完璧に我が身に在る現実に意識を向ければいい事です。

 

「フォースと共にあれ」2018/05/04・5分32秒

【翻訳】ジョージ・ルーカス - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=w-ZymLlTh9A&t=97s

 

神話の力「死と再生」要約

人は年を重ねるにつれ周囲から課せられる要求があまりにも大きくなって、自分がどこにいるのか、何をしようとしていたのか、わからなくなりがちです。・・・・・しかし、自分にとって無上の喜び、至福というものを追い求めるべきなんです。 (5:53)  

 

狩猟文化において犠牲が捧げられる場合、それは、自分たちのために何かをしてくれたり与えてくれたりする神への贈り物のようなものです。一方、農耕文化において誰かが犠牲になる場合は、犠牲になるその人は神なんです。 (17:45)
犠牲になることは人生の勝利

である、というのが、古代の「犠牲」の考え方の本質です。 (18:55)  

犠牲がマイナスイメージに捉えがちなのには、「肉体=自分」という意識に変化してきたからでしょう

自分と他人が別々に見えるのは、私たちの感覚が時間と空間に縛られているからに過ぎません。人間の本質はすべての生命との一体性、融合の中にあります。この一体感というものは、私たちが自然に実感できるものです。なぜなら、それは人生の本当の真実だからです。 (22:51)

この真実から、人は、人を守ろう、助けようと行動するのだ、とキャンベルは言っています。

母性の自己犠牲の話 (25:16) に続き、結婚における犠牲についても語られています。

結婚にも犠牲が伴います。・・・結婚における犠牲は相手ではなく、関係に対して払う犠牲です。ですから、結婚は恋愛ではなく試練なんです。その試練は、関係に対して自我を犠牲にして、二人が一つになることです。 (26:03)

結婚すれば、ある意味自分というものはなくなるんです。・・・・・・・結婚は、2つの卵を割ってオムレツを一つ作るようなものです。個々に独立した存在が犠牲になることで、超越的な結合が生じるという神話的作用です。私たちはふさわしい相手と結婚することによって、神話的世界を実現するのです。 (27:43)

結婚は神話的世界の実現です。既婚者の方々は、この世界に新しい神話を日々生み出しているのです。

現在の自分は、自分という存在の最終的な姿ではない、ということです。 そして私たちはいずれにしろ死ななくてはなりません。肉体的に消滅して、やがて再生するんです。生命というのは、いつも死と隣り合わせです。・・・でも人は、恐れることなく生きる勇気を持たなければなりません。 (30:15)

人生においてこの上ない喜びや生きている実感、つまり…至福を感じることができるのは、恐怖や誘惑を克服したときだということです。 (35:35)

求めれば、至福に到達します。 (37:45)

「私の存在が妥当なものかどうかはわからない。自分の意識が完全なものかどうかもわからない。でも、私の歓喜どこにあるかはわかる。だから歓喜を手放さずにいれば、それが私の存在と完全な意識をもたらしてくれるだろう」とね。 (38:52)

日々いろいろな体験をするなかで、ふとわかる瞬間があります。自分の喜びは何かが、直感的にわかるんです。それをつかむことです。それは他人にはわかりません。自分自身で見極めるしかありません。 (41:45)

こう信じるようになりました。至福を追い求めれば、私たちは始めから、自分が進むはずだった道を進むようになる。そしてどういうわけか、自分が送るべき人生を送るようになるとね。
至福の世界にいる人々と知り合うようになると、彼らはあなたのために扉を開けてくれます。ですから、恐れずに至福を追い求めるんです。そうすれば、思いがけないところで扉が開くでしょう。 (42:20) 

至福という永遠の命の泉は、いつでもどこにでも見つかるんです。(43:20)

「至福」「喜び」が、自分の生きる道を案内してくれるのです。