「意識現象の循環(ループ)」 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「意識現象の循環(ループ)」

「いのちで読む般若心経」についてお伝えしました。

「〇〇〇を読む」「〇〇〇を学ぶ」「〇〇〇をする」等々の情報番組・情報書籍が溢れています。全てが「言葉」「文字(イメージ)」遊びです。

情報が勝手に上書きされ、思考概念がループしているだけです。何を見ても、何をしても、それだけの事、「智慧の完成」にはいたらない「ワンダーランド」「プレイランド」「メリーゴーランド」現象です。毎日が情報の「刷り込み⇒刻印付け」循環です。

 

紹介の「早川一光氏」「田中雅博氏」「何も求めずただ座るだけ」「般若心経」の情報を見ても何も変わらない現実現象が生物個体種「人間(ヒューマン)」の意識現象です。

「見せてくれている」情報のメッセージを受信できないのです。受信できてもスルーするだけなのです。

「写し」「転写」「翻訳」の自然法則・原理がわからない、気づけ無い「無知・無能」の「刷り込み⇒刻印付け」循環が絶えず稼働しているだけの毎日です。

だから「早川氏」「田中氏」が「こんなはずじゃなかった」メッセージを伝えてくれているのです。

「不安の補完先」としての宗教現象の現実例として「何も求めずただ座るだけ」「天地いっぱいを生きる」は職業坊主の「修行ごっこ」でしかありません。不安の補完の自己満足でしかありません。

これが、真面目な方々の「基本的探求モデル」です。「個人・個別」ですが「集団集合」から見ると同じ意識現象の生態です。

「作用反作用」「現象の物質化&非物質化」「自転・公転」「エネルギー運動」「電気⇒電磁波」の理科知識があっても、智慧化する方法がわからないままがループしているのです。

「自我機能」の生成がわからないままの、いわゆる「人生」が、そこ、ここで現象化しているのが現代人の「生態現象」です。

「これでいいのだ」にならない「不安の補完現象」です。

毎日の「メディア情報」「インターネット情報」は自然現象のわずか3%~5%未満です。

3%~5%未満が100%と見ているのが「自我機能同期」です。そして、その全てが「現象化」した後の過去の物語です。どうにもならない「思考・概念」です。

誕生後の「刷り込み⇒刻印付け」循環が生成し作り出している「言葉」「文字」世界です。