「これでいいのだ」は決着循環 | 「写楽⇒通信」

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「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「これでいいのだ」は決着循環

先般、「赤塚不二夫」の公開動画を紹介しました。

公開用「これでいいのだ」2024年3月18日1時間21分31秒

決めゼリフの「これでいいのだ」は「決着感覚」であることをブログでお伝えしました。

「これでいいのだ」2024-03-19 04:53:53

「これでいいのだ」の「決着感覚」は「個人・個別」の課題です。「言葉」「文字(イメージ)」遊びの循環ではわかりません。「体感感知」する電磁波同期の世界観です。

赤塚不二夫氏の映画を紹介します。「U-NEXT」で視聴可

「これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫」2011年4月10日1時間58分51秒

クソまじめな新人編集者×破天荒な天才マンガ家 この2人がギャグで革命を起こす日まで、あと少し・・・ 大手出版社の新人編集者・武田初美が入社早々、担当に任命されたのは人気絶頂のギャグマンガ家・赤塚不二夫だった!口を開けば「タリラリラーン!!」「もっとバカになるのだ!!」と遊びとギャグに命をかける赤塚に、マジメで乙女な初美は振り回されっぱなしの毎日!しかし、赤塚はそんな初美のバカの才能を見抜いていたのだった!! “バカの王様”赤塚の強烈な手ほどきを受け、徐々にその才能を開花。やがて2人は、最強のコンビになっていく・・・。 原作は、初美のモデルであり、実際に入社時から赤塚の編集を担当していた武居俊樹が35年間にわたる赤塚との濃い~ぃ関係を描いた「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」(文春文庫刊)。赤塚が、“やりたいことをやりたい放題やった、いちばん好きな漫画”と語る衝撃作「レッツラ・ゴン」に“武居記者”として登場するほど赤塚に愛された彼だからこそ描けた原作を基に、さらに事実を超脚色して、誇張してボカーンと映画化☆☆ ハリウッド進出も果たし、世界的に活躍する俳優・浅野忠信が《シェー!!》と奇才・赤塚不二夫を!日本を代表する若手清純派女優・堀北真希が《ニャロメ!!》と新人編集者に!その他、阿部力、木村多江、いしだあゆみ、佐藤浩市、WAHAHA本舗の佐藤正宏、梅垣義明など豪華・異色キャストが出演し、バカボン・ニャロメ・チビ太などの個性豊かなキャラクターたちも共演♪脚本は「踊る大捜査線シリーズ」等の超ヒットメーカー君塚良一と佐藤英明。監督は助監督として、阪本順治、森田芳光、マキノ雅彦、君塚良一らに師事し、今作が初監督となる佐藤英明がメガホンを取る。そして、ユニコーンが主題歌「ぶたぶた」を本作のために書き下ろし!ポジティブで遊び心がいっぱいのポップナンバー!意味不明な歌詞を、皆で口ずさもう♪♪

 

【ストーリー】 あれこれ悩んだところで、人間一歩も成長しないんだよ。困った時は・・・ タリラリラーン♪♪ 空っぽになればいいのだ!!! 1967年(昭和42年)小学館の入社式。その重厚な雰囲気に全く合わない人物が、ホールへと近づいてきていた・・・。「お待たせざんす!ミーはたった今、花のおフランスから帰ってきたざんす!」紫のスーツに出っ歯!“イヤミ”に扮して登場したのは、小学館「少年サンデー」の看板作家・赤塚不二夫(浅野忠信)!「ミーがチミたちに言いたいことはたったひとつ!それはバカになることざんす!」そして、社員全員で“シェー”のポーズ!その中でひとりだけ呆然と立ち尽くす新入社員の武田初美(堀北真希)。その姿が赤塚の目に止まり、初美の手足を掴んで無理やり“シェー”のポーズ!「やめてくださいっっっ!!!」初美は、赤塚の顔面に思いっきりパンチを炸裂!!この衝撃的な出会いが、日本の運命を変えていく・・・!?今、超バカ天才漫画家・赤塚とド真面目新人編集者・初美との戦いの火蓋が切られた!! コンニャロメ!先生、私はバカになんてなりたくない!!

 

親父の名言

【「仕事」とは、飯を食うため、金を稼ぐための「芝居」でしかない。仕事に慣れれば適当に遊べる。遊べることがわかると世間は娯楽劇場であることが自然にわかる。個人においては「人生劇場だ」1963年 村田英雄のヒット曲

当時の映画は「ヤクザ映画のドンちゃんバタバタ」 映画のタイトル「人生劇場」に引かれ人々は見にいった。

 

※「娯楽」とは人々を楽しませるための芸能の総称。大きくエンターテイメントとアミューズメントに分けられる。

仏教用語で言うならば「衆生所遊楽」の事です。⇒「これでいいのだ」

「衆生所遊楽」とは「衆生の遊楽する所」と読み、私たちの住むこの娑婆世界は、衆生が遊び楽しむ所(場)を言います。「人生」とは、どんなに苦しくてもそれは遊びだという捉え方をするものです。⇒お話しです。⇒「自我機能同期」の信仰者には無理な話です。

法華経如来寿量品第16の自我偈の文。同品には「衆生の遊楽する所なり」(法華経491㌻)とある。「衆生」とは凡夫、「遊楽」とは遊び楽しむことで幸福境涯をさし、「所」とは娑婆世界(現実社会)のこと。寿量品で、この娑婆世界が即常寂光土(最高の浄土)であると説き明かされ、苦悩と無常の現実社会こそ妙法を持つ衆生の最高の遊楽の場所であると転じられたことをいう。

「物語」「ストーリー」を知っているだけでは「苦悩循環」があるだけです。

「衆生所遊楽」とは「生身感覚同期」の事です。「体感覚知・感知」の事です。