毎日が「自我の意図・思惑」循環 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

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「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

毎日が「自我の意図・思惑」循環

毎日が「自我の意図・思惑」循環です。「言葉」「文字(映像)イメージ」遊びの日々です。

「こんなはずじゃなかった」と「こんなはずじゃなかった以前」の公開動画についてお伝えしました。全てが「当事者⇒名前・名札・肩書」の「物語」「ストーリー」です。

ブログの読み手・受け手の方々の「写し」「転写」「翻訳」の現象化です。わかりますか?

ブログの読み手・受け手の方々の「身代わり」「入れ代り」により「私」「自分自身」の世界を

「こんなはずじゃなかった」と「以前」を通し「生身感覚」への気づきの促しを見せてくれているのです。

 

「こんなはずじゃなかった」は、予測した「作用面」がハズレ「反作用」が現象化してきている事を教えてくれています。

「こんなはずじゃなかった」との「思い」は日常的に、その時々現象化しているのが現実現象です。

 

例えば、四国四十八か所「お遍路旅」を結願しても「こんなはずじゃなかった」との思いが出て来ます。

観光地巡りをし「現実を見て、こんなはずじゃなかった」との思い・「この人は」と思い、お付き合いして「こんなはずじゃなかった」年老いた両親を見て「こんなはずじゃなかった」

 

「こんなはずじゃなかった」の「思い」の背景に「不安の補完現象」がある事には気づけ無いのが一般的です。

一般的には「こんなはずじゃなかった」との思いが「個人・個別」の探究動機になっています。

全てが自我機能同期による「意図」「思惑」の介在による「こんなはずじゃなかった」反応なのです。言葉を言い換えると「衝撃の五段階」による気づきの促しです。⇒「足るを知らず」循環

「吾唯知足(われただたるをしる)」と読みます。

「生身感覚同期」に身を任す、意識を任す⇒自我期の用語で言う「心に任す」です。

「心」の概念は「思い」であり現実にはありません、現実は「意識に任す」です。

「心」なる用語・単語は「不安の補完用語」です。「自我機能同期」の都合・意図・思惑で作られた「言葉」「文字」です。

先般お伝えした「信じる力」と同じ「不安の補完用語」です。

実例⇒「心」「信じる」「愛」「勇気」「絆」「信頼」等々の「ポジティブ用語」は、その時々の事象を振り返っての「言葉」「文字」です。

古今東西の「偉い人」「有名人」は気づけ無いのです。わからないまま「単語のタンゴ」を循環しているだけなのです。

「思い込み」「信じ込み」⇒「刷り込み⇒刻印付け」の循環現象です。「足るを知らず」「満たされなさ」が現象化しているのが生物個体種「人間(ヒューマン)」の意識現象です。

 

「我が身⇒60兆の細胞同期」の現象は常に「足る」「満たされている」世界なのです。

「足るを知る」とは「生身感覚同期」を体感する事です。