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「言葉」「文字(映像)イメージ」遊びの世界が「露わになる」面白ニュースがありました。映画「日本誕生」の紹介とシンクロ・リンクしている「如来」「去来」の現象化です。

 

文春オンライン2/9(金) 6:12

「あっと驚いたのち、膝を打つ」古代中国の法則で邪馬台国論争に一石を投じる画期的新設

まったく新しい角度から答える新説を発表した歴史学者がいる。武蔵大学教授・桃崎有一郎氏  

桃崎 有一郎(ももさき ゆういちろう、1978年- )は、日本の歴史学者。高千穂大学商学部教授。専門は、日本古代・中世の礼制と法制・政治の関係史

古代中国語の法則がキーポイント

桃崎氏は、中国から日本に伝わった「礼」の研究をするうちに邪馬台国がどこにあったかを特定するための新たな手がかりを発見したからだ、と語る。

「私が見つけたのは、古代中国では一般的な法則である。その法則は日本にも導入されたが、そのこと自体にも、それがどれほど重大かも、気づいた専門家はいないようだった。『魏志』倭人伝の行程記事に微塵も依存せずに、邪馬台国論争を解決へ導ける文献史料。そのような、まず見つかるまいと思っていた鍵が、もしかしたら私の手元にある」桃崎氏はその手がかりを使って難問に臨んで。

 

最大の誤りは「邪馬台国」の読み方

一つ目は、「邪馬台国」は「ヤマタイ国」ではなく、「ヤマト国」と読むこと。 「ヤマタイ国」と読んできたことを桃崎氏は「邪馬台国論争を解決から遠ざけてきた最大の誤り」だと述べています。  

二つ目は、今では「倭」と書いて「ヤマト」と読む、という訓読みは一般的になっているが、その訓読みは7世紀以前には存在しなかった、ということだ。

「倭」は、中国では後漢(25~220年)までに日本列島とそこに住む人々を指す言葉となっていた。一方、「ヤマト」は、現在の奈良県にある、かなり狭い地域を表す地名でした。

 

なぜ「倭」と「ヤマト」が結びついたのか

中国の歴史書で「倭」が初めて日本列島とそこに住む人々の呼称として登場するのは、1世紀に成立した「漢書」地理志。つまり、およそ600年間、「倭」と「ヤマト」という言葉は、結びつくことなく、別々に存在していた。  

指し示す範囲がまったく異なり、長い間、独立して存在していた、二つの固有名詞がなぜ、どのようにして結びついたのか? この謎と「邪馬台国がどこにあったのか?」は、一見、何の関係もないように見える。しかし、この謎が邪馬台国の場所を突き止める重要な鍵になるのだ。桃崎氏はこの問題を丹念に追いかけ、「古代中国では一般的な表記法則」に照らして考えることで、邪馬台国の場所を特定していたことが明らかになってきのです。