「中山みき」の自動書記・憑依現象
「信仰現象」「宗教現象」は「未完の完結現象」「不安の補完現象」です。
日本で初めて系統立てられた自動書記の記録として天理教教祖・中山みきの「おふでさき」が残されています。天地創造・日本神話に類似する内容です。
「此岸(この世)」「彼岸(あの世⇒異次元世界)の意識現象の「未完の完結の循環現象」です。⇒「意識現象⇒集団集合の循環」「自我機能同期」の「写し」「転写」「翻訳」の現象化です。
先般、紹介の「Dr・フリッツ」の現象化と同様な意識体の集団集合の実例です。
中山 みき(なかやま みき、1798年(寛政10年)6月2日- 1887年(明治20年)2月18日は、日本の宗教家、天理教教祖。89歳没⇒『ウィキペディア(Wikipedia)』
『おふでさき』は、天理教の原典(聖典)の一つです。天理教の教祖中山みきが親神(天理王命)の教えを書いたもの。和歌の形式になっています。
天理教の原典は、『おふでさき』、『みかぐらうた』、『おさしづ』の3書があり、「三原典」と呼ばれて天理教教義の基礎となっています。
当時の時代背景等参考になりますのでVHSによる動画を紹介します。
参考動画⇒VHSテープからの動画で画像はイマイチです。現在は取り扱っていません。
天理教教祖の物語「扉はひらかれた」1975年4月22日49年前の作品
2023/03/12・1時間39分33秒
https://www.youtube.com/watch?v=pN0gU3Hzkl8
「ストーリー」天理教の教祖・中山みきの波乱に富んだ生涯を描いた作品。
天保9年10月26日。大和盆地の小在所、庄屋敷村の豪農の主婦に、人間創造主が下り、人類救済の世直しを宣言した。そして、みきが生まれた。時あたかも封建制度の最中にあって、庶民は権力者の圧政、また冷害、洪水による飢饉によって苦しんでいた。みきは、庄屋の中山家に嫁して19歳の時、浄土宗の秘密伝法の儀式を受け、五重相伝を授与されたが、浄土への逃避では庶民の苦悩は救済することはできぬと悟り、悶々と日々を送っていた。
みき41歳の秋、人民救済の為に神がみきの肉体にのりうつった。みきは神の命ずるままに周囲の反対を押し切って中山家の財産を人々に施した。
二十数年の歳月が流れ、みきの口を通して語られる神の理想である人類平等、世界一列皆兄弟であるという教えに人々は慕い集って来た。
明治の時代になって、みきの教えは危険思想視され、転向を強制されるようになった。みきは圧迫にめげる事なく、神の教えを人々に説いたが、中山家の戸主を継いだ孫の真之亮を始め、高弟たちは、みきの思想と国家思想の板ばさみに悩む毎日だった。明治20年1月26日、みきは命を賭して人々につとめの執行を促した、信者が朝から続々と集って来た・・・
明治時代初期
昭和6年
参考動画
現代訳で聞く、おふでさき01 1~44・2022/04/24・10分39秒
https://www.youtube.com/watch?v=rNtU2E4BW08
現代訳で聞く、おふでさき01 45~74・2022/12/27・7分12秒
https://www.youtube.com/watch?v=fQbv_6ffN8U&t=22s
参考サイトPDF島薗 進・日本の宗教学者