「人生曲線」の世界観 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「人生曲線」の世界観

100分de名著「方丈記」で鴨長明の「人生曲線」が紹介されていました。

「物語」「ストーリー」の「主役・主人公・肩書」に沿ってエピソードをグラフ化させ「見える化」する個人・個別の「人生の回想法」です。

平成時代に流行り出した就活ツール方法です。高校・大学での就活研修で学ぶ自分自身の見える化です。

一般的に“人生曲線”は、

人生グラフ(ライフラインチャート)

モチベーショングラフ(充実度曲線)

自己分析チャート

自分史

等と呼ばれます。

誰でも簡単に出来ます。キャリア分析ツールです。

 

人生曲線は、これまでの人生の浮き沈みを人生の波として書き出して、大きく上がっている年や下がっている年について、なぜそうなったのか理由を書き出します。 具体的には、縦軸は浮き沈みで0を基準とした点数、横軸は生まれてから今までの年齢を書きます。

モチベーショングラフは自己分析をより確かなものにし、説得力のある自己PRを作るたに欠かせないものです。

いざ自己分析を始めてみても「今の自分を形成した『過去の自分』」というものは、自分では見つけにくいものです。

モチベーショングラフとは|曲線の書き方やテンプレートを紹介サイト

https://offerbox.jp/columns/20436.html

 

「人生曲線」「モチベーショングラフ」は「過去の物語」です。何を見出すかは記述する側の意識に委ねられ任されている「委任事項」です。

「自分自身」の「お話し作り」⇒「物語」「ストーリー」のツールでしかないのが現実現象です。

「方丈記」の冒頭は「雲水」の呼び名と同じ「河の流れ」です。「自我機能同期」の「探求ポイント」です。人は、誰でも、どこでも、「浮き沈みの人生旅」で体験する「人生旅の振り返り」は「ターニングポイント」です。この事が事前にわかると、その後の「探求」は「完結循環」に至ります。

 

参考サイト⇒100分de名著16 「方丈記」 2012年10月

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/16_hojoki/

「方丈記」タイトルの言われ

「方丈」といって、だいたい四畳半。

方丈は、仏教的な意味合いの強い住まいです。僧侶の住まいとしても愛用されていたため、宗派によっては住職のことを「方丈」と呼ぶこともあります。

鴨長明には、家族もいないし、無理に友達をつくろうとも思わない。自分一人暮らすだけなら、この広さで十分。

 

お薦めdailymotion動画

「今よみがえる方丈記・災害ルポルタージュ」 2012年10月21日

https://www.dailymotion.com/video/x8oiouf

 

「鴨長明」要約コメントです。1時間1分34秒 

放送は2012年10月21日です。12年前の放送です。

「偉い人」「有名人」による「言葉」「文字⇒イメージ」遊びの現実現象です。

「災害ルポルタージュ」としか見る事が出来ない方々のお話しです。「生身無き自我機能同期」の循環現象です。

鴨長明の思いは「これは本人にしかわからない」まま「物語」「ストーリー」が循環しています。

 

巨大地震と津波が東日本各地を襲った大災害。
それに続く原発事故は、日本人の誰もが、大自然の猛威の前に無力な人間の姿を見せつけられた。それから1年半『将来に漠とした不安』が続く中、人々の注目を集め、新たに読み解かれている一冊の古典がある。

 

『方丈記』は日本最古の災害ルポルタージュ。平安時代末期に、立て続けに京都の都を襲った地震、竜巻、飢きんなどの災害の様子が、庶民の目線で描かれている。
 

『方丈記』の作者 鴨長明は、いわば平安時代の“ルポライター”。下鴨神社の神職の子として生まれたが、20代に悲惨な災害の数々を体験、その中で、《世の無常》と向き合いながら人はいかに生きるべきかを考察。800年前、伏見の山中に隠とんした鴨長明は、一辺が1丈(約3メートル)四方の小さな庵(いおり)で『方丈記』を書き上げたという。それは漢字とカタカナで記されていた。
『方丈記』は、声に出して読むもの。⇒後世の「偉い人」「有名人」の解釈仮説。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。…」
番組では、俳優の西岡徳馬が、朗読者として登場。災害の現場で朗読する。
そして「日本最古の災害ルポルタージュ」方丈記の謎と、その現代へのメッセージを読み解く。⇒「未完の完結循環」です。「方丈記の謎」は謎のまま循環しています。

「方丈記の謎」は「自然同期⇒生身感覚になれ」という事です。「物見読みの、読み方知らず、生身知らず」が「謎を謎にしている」のです。