「西田幾多郎の出現」 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「西田幾多郎の出現」

「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾はいくなり」

1933年(昭和9年) 西田幾多郎64歳の元旦に詠まれた歌です。⇒90年前

京大の「哲学の道」の中ほどの石碑に刻まれています。

自分が進むべき道をただひたすらあゆみ続けた人の、確固たる信念を示す格言として、当時の青年たちの心に灯をともした結果としての「自体顕照」の言葉です。

「自我機能同期」の「探求用語」として定着していますが、「それだけの事」でしかないのが現実現象です。

公開動画「千日回峰行」「塩沼亮潤の世界」「奥駈け」「四国遍路」「立花隆」「こんなはずじゃなかった」等々は、「此岸(この世)」の「探求旅行」の「映像ガイド」です。

 

「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾はいくなり」

池田大作氏が好んで「人間革命」で何回も引用していた西田の文言でもあります。創価の「刷り込み⇒刻印付け」の世界観の方々はこのような西田現象には一切気づけません。気づかぬままの生涯です。⇒「未完の完結循環」⇒「物語」「ストーリー」の循環現象です。

 

西田は自らの禅的経験を哲学化するために、ギリシャ哲学のフィロソフィー(哲学)」古代ギリシア語の「フィレィン(愛する)」の「刷り込み⇒刻印付け」により西田自身の探究目的を「知は愛、愛は知である」と展開していた事は知られていません。

「言葉」「文字⇒イメージ」遊び循環に陥っていたのです。そうです「哲学」は「知的な遊戯」でしかないのです。「不安の補完」の動態運動としての「言葉」「文字⇒イメージ」遊び循環です。

ゆえに哲学者の「哲学体系」の全ては「未完の完結循環」のお話し・物語・ストーリーです。「生身感覚」で現象還元すると自然に見えて来る「世界観」です。

現代用語で「知」と「愛」を現象還元するならば「不安の補完用語」による「情報」でしかありません。電磁波同期で言うならば「不安の補完」⇒「プラス⇒依存・付着現象」です。

何故ならば、「自我機能同期」の意識現象は常に「マイナス」だからです。⇒「不安の補完」

ちなみに「生身感覚」は常に「プラス・マイナス⇒ゼロ」です。

西田は、

「我々が自己の好む所に熱中するときは、ほとんど無意識である。

自己を忘れ、ただ自己以上の不可思議力が独り堂々として働いている。このときが主もなく客もなく、真の主客合一である。この時が知即愛、愛即知である。」と語っています。⇒「堂々として」とは「堂々巡り⇒循環現象」の事です。

100分de名著92「善の研究」 30ページ参照の事

雑誌『精神界』第7巻第8号(1907年8月10日)

斯の如く知と愛とは同一の精神作用である。それで物を知るにはこれを愛せねばならず、物を愛するのはこれを知らねばならぬ。数学者は自己を棄てゝ数理を愛し数理其者と一致するが故に、能く数理を明にすることができるのである。美術家は能く自然を愛し、自然に一致し、自己を自然の中に没することに由りて甫めて自然の真を看破し得るのである。また一方より考えて見れば、我はわが友を知るが故にこれを愛するのである。境遇を同じうし思想趣味を同じうし、相理会するいよいよ深ければ深い程同情は益々濃かになる訳である。しかし愛は知の結果、知は愛の結果というように、この両作用を分けて考えては未だ愛と知の真相を得た者ではない。知は愛、愛は知である。「知るということは愛すること」と述べています。

「不安の補完」の「探求構造」が「知即愛・愛即知」という事と理解すればわかりやすいです。

西田の「絶対矛盾的自己同一」という考えもギリシャ哲学事に基づいています。

「絶対矛盾的自己同一」という考え方は心の「有」は「無」であり、「無」は「有」です。

そして、矛盾する自分を受け入れ、自分を知れば自分を愛し、自分を愛せば他者を愛せると至ったからです。

「至った」というのは西田自身の「思考の結果」です。ほとんどの「人間(ヒューマン)」は至らぬままが現実現象です。

だから「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾はいくなり」と自然に発せられたのです。

「お遍路旅」「観光旅行」は、江戸時代中期より庶民大衆に浸透し循環している「探求旅行」です。

面白現象⇒「絶対矛盾的自己同一」の見える化の現象実例

「絶対矛盾的自己同一」の「見える化」を見事に表現しているのが「金剛蔵王権現」です。

公開用⇒「金剛蔵王権現」31分49秒で紹介されている「金峯山寺  金剛蔵王権現9分11秒」です。

「金剛蔵王権現」の形相は、人々の自我機能に対する「憤怒」を示し、立像が「青色⇒群青色」である事は仏菩薩の慈悲の現象化を現わしています。

「自我機能同期」の「対象化」「モノ化」「擬人化」「象徴化」による現象化です。

参考動画⇒「西田100分」「西田哲学本質」

ドキュメント「金峯山寺  金剛蔵王権現」

参考サイト⇒100分de名著

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/92_nishida/index.html