中村元氏の「般若心経」現代語訳
「般若心経 金剛般若経」中村 元・紀野 一義 訳注 岩波文庫1960年7月25日
YouTube 動画2011/04/23・5分29秒
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全知者である覚った人に礼したてまつる。
求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。
シャーリープトラよ、
この世においては、物質的現象(注1)には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得る)のである。
実体(注2)がないからといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして)およそ物質的現象とというものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。(11頁)
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ。(11頁)
この世においては、、すべて存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく(注1)、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
それゆえに、シャーリープトラよ、
実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識のりょういきにいたるまでことごとくないのである。
(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもない)
それゆえに、シャーリープトラよ、
実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識のりょういきにいたるまでことごとくないのである。
(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなるなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。(13頁)
過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真言であると。
その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
ガテー ガテー バーラガテー バーラサンガテー ボーディ スヴァーハー⇒「音訳」
日本語音訳⇒「体内音・胎内音・宇宙音」に同期する音声信号「般若信号」です。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい
菩提薩婆訶 般若心経
ぼじそわか はんにゃしんぎょう
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。)
ここに智慧の完成の心が終わった。(15頁)
中村元氏の最晩年
公開動画参照の事
中村元「般若心経」現代語訳」8分24秒2011年4月23日
「中村元⇒一人一宇宙」31分3秒 1991年