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餓鬼道は餓鬼の棲む世界(餓鬼界)。

欲望を満たそうと欺き騙して他を慮らない者が落ちる。
三悪道(畜生道、餓鬼道、地獄道)の一。

餓鬼の外見は「餓鬼草紙」などからの絵を見たことがある人も多いと思う。

黒く、痩せていて腹がぼっこりとび出した姿。

 

順位という結果は厳然と公式記録に遺る。

しかし、見た人、参加した人の心に残るのは、刻まれたその印象であって何位という肩書じゃない。

この48の場合は「外面如菩薩内心如夜叉」というか、向上心と功名心をはき違えて自己の欲にとらわれ、たくさんの見る人、参加する人を楽しませる気持ちを棄てた、醜悪な餓鬼の姿だった。

 

必死になるのは悪いことじゃないが、巧く歌いたいとか上手に踊りたい、それで見る人すべてに楽しんでもらいたい、ではなく、ランクインしたい、選抜になりたい、神セブンになりたいなど自分の欲だけで、見る人には関係ない。

付け加えると、ファンから生まれた「神セブン」は周りがいうことで自分ではいわないもの、自称神って失笑しかない。

 


選抜総選挙、本来は、運営の選抜を不満とする声に、年1回、ファン有志による投票で選抜を決めようと始まったもの。
投票権は、ファンクラブ会員や各種サービスの会員、CD添付などで有料。
そのため、メンバーによる介入(投票の呼びかけ、集票行為、他)は禁じられて、メンバーには規定の書かれたペーパーが配られたと聞き、ファンにも折々に伝えられた。

 

反するものはファンの間で「票乞い、票乞食」と呼ばれ、賎しいものとされ、後々まで揶揄され続ける。

今もその言葉は残っていて、今年などは耳にたこができるほど聞く羽目になる(泣)。

AKB48と48グループの人気が高くなるにつれて、順位によって仕事が得られたり、扱いが変わったりするというので、メンバー自身が介入しはじめて、票乞食が蔓延した。

投票資金を得るための、転売や詐欺など犯罪もある。

これも、転売などと近しいメンバーはすぐに知られて他からの人気がなくなるので、選挙などの金で手に入る肩書、権威を求める。

 

結成間もない頃のNGT48でさえ主要メンバーのほとんどが票乞いをして、「誰が悪いとかどこのグループが悪い」という話でなく全体の意識が低劣、餓鬼の群れとなりはじめた、といえた。

今年、暴走して、犯罪の教唆ととられる発言をする者や、数字を掲げてそれだけの投票数をファンに強要する者まであらわれた。
「メンバーとそのファンの間のことだから勝手だ、他人は関係ない」と尻をまくる者までいるが、全体のイベントで他に投票する者、候補者メンバーがいて、投票結果が他に影響する(そして、影響させるつもりの)ものを正しいと強弁する、呆れたDQNメンバーとヲタたち。
「結果がすべて。やった者勝ち」などと吠えても、秋元康総合プロデューサーが過去に「過程が大事。結果にとらわれて経過を疎かにしては駄目」といっており、やはり身勝手な正当化に過ぎないが。

真剣に創作や芸能に携わる人からは絶対に出てこない言葉、やるほどに過程の大事さがわかるもの。

先輩メンバーの「私たちは見られるのが仕事」という言葉や、NGT48が結成時に、世界的に有名な地元の太鼓芸能グループ「鼓童」を招いて指導を受ける「太鼓合宿」をしたときに、鼓童の斉藤先生から「見られる仕事だから」とたくさん教えていただいた、そうしたもの一切を無下にするメンバーたちの浅ましい姿をみて、見捨てて去るファンが続々。
大イベントだけに、誤魔化し誤魔化しで収拾をつけて総選挙は終わるだろうが、メンバーのほとんどが餓鬼の様相と知られて、どうなるんだろう。

毎年6月頃に行われる選抜総選挙だけど、こうなったら盂蘭盆会(うらぼんえ、いわゆるお盆)に施餓鬼をすると同じ、お盆の時季にやるといいんじゃないかな(笑)。

私は、現役中に「私たちは見られるのが仕事」と看破し、言い切る先輩メンバーもいたのに後輩は餓鬼道にまで堕ちた…と、完全に見捨ててしまった。
聖人ではない、ただの芸能アイドル好きなので。
今は、秋葉原48プロジェクト発表時からとってある色々なものを整理処分しながら、「ふーん、新潟はそうなんだ」、「ふーん、今はこうなんだ」とたまに目を遣るにとどまる。