それは、天下の松下幸之助の設立した、松下政経塾の塾生達が 1~2年かけて、 調べ、考え、発見し、解決策を発案し創造すべきである! 何故かって? それは、松下政経塾が設立される過程を探索すれば、良くわかる! 幸之助さんは既に亡く、政経塾の発案、準備、計画の初歩の過程から全容を知っている人物は塾の関係者なら誰もが知っている「六笠正弘、相談役秘書」に尋ねるべきだ!松下さんの考えに、当時の関西の経済界はどんな影響を与えたのか? 京都紫野大徳寺の立花大亀老師は堺の出身で幸之助さんの師と呼ばれた禅僧で池田勇人元総理のブレーンであったが、「松下さんと政界の関係に何度となくアドバイスしていた」、関西経済界の関西電力の芦原義重さんが、松下さんが政治に口を出すのを厳しく反対していたと私(松本実)に話され、老師も(立花大亀)も松下の政治的な動きに反対していたから、幸之助は 君が言う「政治家養成所」なるものを創ることはないだろう。と言われて私にとっても残念極まりなかったが、大学2回生から、3年間も指導を受けていたので、大亀老師の話から、「政治家養成所」は私も無いと考えに傾いていた。ある時、夏の暑い日に大徳寺の塔頭を尋ねると、和尚は留守で、一保堂で買い求めた抹茶だけを渡し、とぼとぼと石畳を歩いていると、向こうから老師が大阪へ出向いていたと聞いていたが帰って来られ、にっこり笑われ、道端に生えている雑草を座って抜き始められて、私もそれに暫くお供した。まあ、中に入れ、茶の一服も飲んで行けと誘っていただいたので、言葉に従った。やはり、私の心を読んでおられて、その話は避けて通られた。しかし、老師の言葉にはどうしても納得出来ず、大阪府門真市の松下電機本社の松下幸之助氏本人宛に拙文ながら手紙を書きました。それでも、本人宛に三度書いてはみたものの、返事は当然なく、矢張り関心は無いのだろうと思っていた。当然中味は第一級の物であったが・・、その後3年7ケ月経過の後に、「相談役秘書、六笠正弘氏より返信が来たー今もその手紙は何処かに置いており、コピーも撮って有りますが」なぜこんなに遅れて返事が来たのか?その内容は幸之助相談役は病気味で、どうしてもお会いしないといけない人にも会えない状態なので、今回は面会の申し出でにはお応え出来ないので勘弁頂きたい。というものでした。しかし、その後1年7か月後に新聞紙上で「神奈川県茅ケ崎に 松下政経塾の開設を計画している」との記事が大きく報じられました。」 私はその時、松下さんの快挙ではなくきっと失敗すると思ったものでした。なぜなら、基本設計について、理念に「本物の政治家を養成するには、選挙に立候補し政治家になるには、極力お金を使わなくて、選挙に当選できる、政策を研究する人物と選挙戦略と選挙の戦術を教えて欲しい」と手紙には書いていました。そこの計画がないので、残念だが、きっと10年もすると失敗するだろうと考えにいたりました。松下政経塾は今日の政治資金規正法にたいする考え、ほんの僅かな政治資金で選挙に当選する、人物を創り出せていないのです。第一期生の愛媛県出身の自民党の小野信也さん、同一期生の千葉県の野田佳彦さんも矢張り組織とお金を頼りの選挙で、経歴を重ねておられました。高市早苗さんも、本物とは言い難い、政策は本物では有りません。松下政経塾は反省ばかりが必要です。だから、反省できる者はきっと規正法の改正案も考え付くし、今後100年の民主主義の創成の為にも、政治資金改正案を作らなければならないのです。私の私案は次の機会に書くことにいたします。kogeyozann

 

(ちょっと休憩~)

  • 限られた国家予算で善政を追い求めるのにはかなり無理がある。だから、投下予算額を抑え込み、投資効率の良い最大限工夫をこらした政策が必要である。例えば、この暑い夏の健康対策=熱中症対策など、エアコンをガンガン回して夏を乗り切るのではなく、ペットボトルを冷蔵庫で作っておいて」クーラーバックで2本入れて置き、手に握らせることで、深部体温を3度近く下げるだけで、ほぼ熱中症は回避できる。

日本中の農家のお年寄りなら、だれでも知っている「寒冷紗」あれをカーテン代わりに窓枠の外に張り付ける」だけで、かなりの効果を生みだることが出来る。工夫して安くが肝心である。

  • 一所懸命国民の為になる政策を考えて主張すると「投票と政治献金が得られる。そんなシステムを沢山沢山の人が寄って集って考えるのだ。松下政経塾の生徒諸君=かんがえつくかな?