あれから沖縄へ行った翌日9/22の夜に母は旅立った


私が沖縄へ着いた時はまだ意識もはっきりしていて、母と話も出来た

手も強く握ってくれた

母は自分の旅立ちが間近である事をわかっていたのかもしれない

葬儀費用を銀行から引き出すように指示をした

葬儀屋さんと葬儀ホールも指定した

元々とてもしっかりしていた母

最後まで気丈だった


基本、コロナで面会は出来ないのだが病院側は母の容態がかなり悪い事を把握していたのだろう

9/22は昼間の13時から21時まで私と妹と母と3人で病室で過ごした

手を握ったり体をさすってあげたりして過ごした

その日は何か言っているのだがなんと言ってるのか聞き取る事が難しい状況になった


看護師さんが母に「〇〇さーん、もう夜9時になったので、娘さん達にはまた明日来てもらいましょうね」と


私達も「お母さん、また明日来るからね〜」と言って病室を出た


病院から実家までは車で10分ほど

実家に着いたと同時くらいに、病院からの電話

母の心臓が止まりました

今すぐ病院に戻ってきてくださいと


ほんのつい先ほどまでは息をしていたのに…

こんな事あるの??って思うような旅立ちだった


病院へ着いて母のところは行くと、ついさっきまで動いていた心拍の数字が0になっていた


看護師さん曰く、緊急アラームがなるかならないかというくらい最後、母は苦しむ事もなく旅立ったと。。


74歳だった

死因は

腫瘍崩壊症候群

原因は小腸びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫


それからは私が喪主だったため、葬儀の手配やら何やらバタバタと非常に忙しい日でまだ母が居なくなった事の実感がわかないような。。

でも母が握り返した手はもう二度と繋ぐ事が出来ないと思うと時折涙が溢れてくる

そんな日々を過ごしている