Yahoo!の記事より。
千葉県で、66歳の父親が11才の息子を殺める事件が起きた。
息子さんには、知的障害があって支援学級だったという。
一部報道によると、
「お金がなく、将来を悲観し、息子を一人残せなかった」という。
無理心中の可能性と書かれていた。
男の妻で息子さんの母は10年前に他界とのことも書かれていた。
生活保護を受けていなかったとも。
役所に相談すれば違う結果だったとも。
犯罪としては、あってはならないことで、許されないことだと思う。
ただ、染色体異常で自閉症で、知的障害児を18年間育ててきた母親として。
私が思うことも書き残したい。
「身勝手で情状酌量の余地なし」とも書かれていた。
許されることじゃないのは、大前提の上で。
子供を一人で育てるということは、大変だ。
知的障害があったら、綺麗事では済まされない。
なお、自身が高齢で体がどんどん動かなくなる中で、どんどん大きくなる知的障害の息子を支えると考えると、想像するだけで絶望感が湧いてくる。
11年。3000日以上の日数をさまざまな葛藤の中で育ててきたのだと思う。
知的障害がある息子に3000回以上寄り添って、眠れない夜を超えて、限界を迎えたのだろうと思う。
その間に、助けを一度も求めなかったかといえば、求めただろうと思う。
SOSは、出していただろうと想像する。
役所に助けを求められずに死んでしまう人の中には、
申請手続きの知識がない人ももちろんいるけれど、こういうケースの場合、残念だけれど、何度もやり取りをする間に、見下されたり、馬鹿にされたり、見放されたり、人間性を疑われたり、そういう経験を繰り返して、もう助けを求める声すら上げられなくなることのほうが多い。絶望と恐怖から、もう助けを求める声すら上げられなくなることも多い。私も、そうなった。
この手の事件で、何度「相談していたら違う結果になっていただろう」という言葉を聞いたことか。何らかの形でSOSは多分出している。
結果を得られず、絶望して、結論に至っている。
みんなで、置き去りにした人を
みんなが、同情の余地なしと最後まで攻める絶望を・・・
決して他人事として見ることができない。
日本は社会保障が充実していると言われている。
息子さんには、健康で文化的な最低限度の生活を送れる権利があったはずだ。
助けを求める声が出るうちに助けなければ、救われない命がある。
一方で、たいして困っていないにも関わらず、福祉の利権を独り占めしようとする人たちもいる。
ゲーム理論のこの世の中では、高潔な清貧が時として一番愚かな選択になってしまう。
囚人のジレンマ。
みんながいい人じゃないと、いい世の中は成り立たない。
ずるい人が出ると、ずるくなかった人もずるくならざるを得なくなる。
日本の福祉制度の根底が揺らぎ始めている感覚が、近年とても強い。
保身ばかりで、手続きが正しかったでは、救われない命もある。
せめて、子供が食べるものもなく明日を迎えられない国になってほしくない。
今、福祉のバランスがおかしくなりつつある。
狡賢くても、奪った人が正しい人になりつつある。
もっと困っている人を蹴落としてまで自分が受け取ろうとしている人も多い。
どうか本当に必要な人に必要な福祉が届くように。
ギリギリのところで生きている人は自業自得の人もいるけれど、そうではない人も多い。
人生、ほんの一瞬で全てを失うことだってある。
あり得ないなんてことはあり得ない。
特に、障害児を抱えて生きていくなら、想定外の連続が日常的に続く。
自己責任の一言で片付けられないことも、ある。
自分だって、困っているからではなくて、自分より困っている人がいたら譲る精神を、
私自身も忘れてはいけないと、改めて感じた。
決して許されることではない、二度と起きてはいけない事件であり、
明日は我が身の事件でもあると感じたので、書き残させていただいた。
どうすればこのような事件が二度と起こらない世の中になるのかは、話し合われるべきだし、対策されるべきだと考える。
読んでくださって、ありがとうございました。