高校生として。
高校生として、世間に、モノ申したいことがある。
「作文コンクールの一文目、目立とうとしすぎ」

夏といえば夏休み。夏休みといえば作文。
作文といえば作文コンクール...
そして、作文コンクールといえば「過去受賞作」である。
読んだは読んだが...どれもこれも、「目立とうとしすぎ」である。
「日時」
(例:「2023年、9月16日。」)
「セリフ」
(例:「きれいな空だね。と、太郎は言った。」)
そして、「名言」。
(例:「人間は考える葦である。これはパスカルの言葉だが...」)
奇をてらっているつもりで、逆に没個性化している。
大方、賞を取るためのアドバイスで「最初から目立とう!」みたいなことを言われたのだろう。
まあ、「過去受賞作」に入ってはいるため、言いたいことはあながち間違ってないだろう。
賞を取るためには「最初から目立ち、自分の体験談を入れる」。
これが間違っているとは毛ほども思わないが、これがあるべき姿かと問われても首を縦には触れない。
学歴社会。偏差値社会。「親ガチャ」なんて言葉が流行る今世、
作文コンクールも一種の「履歴」「肩書き」に使われているようで胸が痛い。
賞を取ったら便利。賞を取ったら、面接で使える。
そんなよこしまな気持ちで、賞を取ってうれしいのか?私は問いたい。
自分の書きたいことを書く。自分の作りたいものを作る。
小説やエッセイ、文学作品、ひいては「芸術」って、そういう目的のためにあるものなんじゃないのか。

賞を取ってうれしい。賞を取って、自慢になる。
そんな純粋な気持ちでやっている人って、受賞者の中に何人いるんだろうか。
賞金や賞状がない、もちろん授賞式などもないコンクールがあったら人は来るのか。
性善説なんて言葉は、もうこの世の中からなくなってしまったのだろうか...
こんなことを高校生が考えているあたり、世の中はカオスになってきていると感じる。
いい意味でも、悪い意味でも。
・・・夏休みの税の作文、入賞してたらいいなという自分がここにはいる。
土下座。

