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駒野 友一
名前
愛称 コマちゃん、コマ
カタカナ コマノ ユウイチ
ラテン文字 KOMANO Yuichi
基本情報
国籍
日本
生年月日 1981年 7月25日 (29歳)
出身地 和歌山県 海南市
身長 172cm
体重 76kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム ジュビロ磐田
ポジション MFDF (SB)
背番号 5
利き足 右足[1]
クラブチーム1
クラブ App (G)
2000-2007
2008-
サンフレッチェ広島
ジュビロ磐田
0191 (9)
034 (1)
代表歴 2
2005-
日本
059 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月20日現在。
2. 2010年9月7日現在。
テンプレート( ノート 解説) サッカー選手


人物 [編集 ]

クラブ [編集 ]

小学生のころはFWで中学2年生のときにアウトサイドに転向。中学3年生時に地元初芝橋本高等学校ガンバ大阪 ユース、ジェフユナイテッド市原 ユース、サンフレッチェ広島 ユースからオファーがあった。そのうち、初芝橋本高は練習に参加したが私立高校のため、G大阪ユースは地元和歌山から通いになるため、どちらも経済的理由から断念。市原ユースの練習に参加したが、体調不良からセレクションに不合格、もう一度テストに来るよう誘われたが断りを入れ、1997年広島ユースへ入団[2] した。ちなみに、広島ユースに入る直前に父親を亡くしている[3] 。ユース時代からウイングバックとして活躍し、高校3年次には同級生の森崎和幸浩司 兄弟とともに2種登録選手 になった。

2000年、サンフレッチェ広島とプロ契約[4] する。翌2001年、ヴァレリー・ニポムニシ に見出され、右SBとして沢田謙太郎 からレギュラーを奪う。その後も安定したプレーぶりを見せ、その年の2ndステージ3位になる原動力となった。それ以降も右のアウトサイドのレギュラーとして活躍した。

2003年8月16日対横浜FC 戦で左膝前十字靭帯 を損傷。手術後の入院中に突然エコノミークラス症候群 にかかり生命の危機に陥った[5] 。懸命なリハビリを続け、2004年4月29日ナビスコカップ横浜F・マリノス 戦で復帰した。駒野不在の間、広島の右サイドでレギュラーを掴み取った選手は誰もおらず、チームは駒野の存在感の大きさを実感することとなる。

2004年8月18日、アテネ五輪 ガーナ 戦で左鎖骨 を骨折、同年9月21日ブドウ膜炎 をおこし失明の危機まであったが軽症で済んだ[5] 。2005年には本調子を取り戻し佐藤寿人 とのコンビでチャンスを量産、右SBながら9アシストという数字を残した。

2008年、広島のJ2降格を機にジュビロ磐田 へ移籍したが、チームは低迷し2年続けてJ1残留争いを経験。

2009年、『やべっちFC 』にてゲスト出演していた中山雅史 に駒吉と呼ばれ、さらには駒野本人はいじられキャラだという事が判明した。磐田での背番号は前年の25から広島時代と同じ5に変わり、ポジションがMFからDF(サイドバック)に変わった。

日本代表 [編集 ]

年代別代表時代から右SBだけではなく左SBとしても活躍、2004年にアテネオリンピック サッカー日本代表として招集された。

A代表 には、2005年東アジア選手権 で怪我の三浦淳宏 に代わり初招集された。その後も2006年には2006 FIFAワールドカップ日本代表 に選出された。これは追加招集された茂庭照幸 と共に「アテネ世代 」からの数少ない選出メンバーであった。レギュラーであった加地亮 のバックアップと両サイドをこなせるユーティリティ性を買われての選出だったが、加地の負傷により本大会初戦のオーストラリア 戦では先発メンバーに起用された。この試合では同点に追いつかれた直後にペナルティエリア内で積極的にドリブルを仕掛けてディフェンダーに倒され、あわや追加点となるチャンスを作った。FIFAの審判委員会はのちにPKに値するプレイだったと誤審を認めている。加地が負傷から復帰した第二戦以降は控えに回った。

イビチャ・オシム が日本代表監督になってからも左サイドバックおよびセンターバックのポジションで継続して招集されたが、オシムが倒れたのちに就任した岡田武史 監督の元では内田篤人長友佑都 ら若手選手の台頭によって徐々に出場機会が減っていた。2010年5月10日に2010 FIFAワールドカップ のメンバーに選出された。W杯直前に行われた強化試合コートジボワール戦でスタメン出場をしていた今野泰幸 が負傷したため、その後はレギュラーとしてプレーし、本大会のグループリーグ三試合と決勝トーナメント一試合の合計4試合全てで右サイドバックとしてスタメン出場を果たし日本の決勝トーナメント進出に貢献した。決勝トーナメント 一回戦のパラグアイ戦では、相手陣内深いエリアまで上がり再三クロスを上げるなどチャンスを演出し、パラグアイに押し込まれた時間帯には体を張った守備でピンチの芽を摘むなど豊富な運動量でチームの完封に貢献した。延長戦を経ても0-0のままパラグアイの先攻でPK戦に入り、3人目のキッカーを任されたがシュートがバーに当たり失敗。5-3となり

試合に敗れ、日本代表初のベスト8進出はならなかった。


所属クラブ [編集 ]

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