こんにちは!
遊び心90%の円山洸輝ですどーん
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効率的に過ごすためには、時には「無駄な時間」
を過ごすことが必要になります。
矛盾しているように感じるかもしれませんが、無駄を恐れてばかりいると、
かえって本質的な効率化を阻んでしまいます。
例えば、新しい業務ツールの導入を考えてみてください。
最初の学習段階では、今までの方法に比べて操作が遅かったり、
設定に時間がかかったりするでしょう。
その過程がまさに「無駄」に感じる瞬間です。
でも、そこで諦めてしまえば、結局は旧来のやり方を続けるしかなく、
結果的に非効率な状態から抜け出せません。
効率を追い求めるということは、
常に最新情報をキャッチし続ける情報キャッチアップ力と、
変化を受け入れる適応力が求められます。
そして、変化にはどうしても慣れのプロセスが伴うため、
慣れるまでは思ったようにスムーズに進まないんですね。
それでも、そこを乗り越えた先にあるのは、
数倍のスピードで仕事や勉強をこなせる自分です。
ただ、その途中で「これって本当に意味があるのかな?」と迷いを感じたり、
余暇の時間が一時的に減ってしまったりすることもあるでしょう。
特に現代は時代の変化が著るしく、現在進行形で加速度的に速くなっていて、
常に新しいものが登場しています。
だけど、人は基本的に現状維持を求め変わりたくない生き物。
例えば今はAIが日進月歩でかなり発展してきているけど
普及率はまだまだごくわずか。
なんなら「情報に正当性がない」「内容が間違っている可能性がある」と
否定して変化を拒もうとしてる人の方が多いんじゃないかな。
(であれば、そもそも人間は100%正しいのか?って言う話だけどw)
これはネットが普及し始めた時も同じようなことが起きていたみたいで、
この現象は人が現状維持を求め変化を拒む生き物の証ですよね。
ではこの時代の変化を受け入れ、受け入れた先の一時的な不効率を許容できる
自分にどのように変わっていけば良いのでしょうか?
そこで出てくるので、僕がよく口にする自己アイデンティティーです。
不効率を乗り越え、効率を手に入れようとし続けることは、
人生に対する軸がなければ難しいからです。
自分の人生に対して真剣に向き合い、
自分の資本である時間の使い方やエネルギーの消費について深く考える人ほど、
効率化を図ろうとします。
なぜなら、それは単なる生産性の向上ではなく、
自分の人生をよりよいものにするための「自己愛」の表れだからです。
一時的に余暇の時間を削ることになったとしても、効率化がもたらすメリットを信じ、
その先にある自由な時間やさらなる自己成長を見据えているからこそ、人は変わり続けられるのです。
時代が目まぐるしく変わるからこそ、一時的な無駄を受け入れる。
効率の鬼になるために、不効率の鬼になることを許容する。
この世は逆説のパラドックス。
この考え方は特に現代において大切な考えだと思っています^^
今日も応援していますね!
円山 洸輝