晃吉古事記 -4ページ目

原爆・・・あの日

終戦の日 平和祈念公演

【原爆・・・あの日】

~夾竹桃の花ふたたび~
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無事に終了いたしました。

お暑い中ご来場頂きました皆様、ならびにご声援頂きました皆様、本当に、本当にありがとうございました。

家族ではじめた平和祈念公演

今年で14年目。

多くの方のご協力を頂き、今年も無事に・・・心から感謝してます。

今回、一部は音楽とダンス。

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※(高校の後輩でダンスユニットSMT)

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※(作曲家で実の兄、陽一)

二部は舞台劇をやらせていただきました。

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※(母・たぬき、嫁役の中村むつ子さん)


この劇は、14年前より毎年題材を変え、薄れゆく戦争の記憶、平和への願いを込め、戦争体験者やその遺族の方から取材をさせていただき、公演をやらせていただいております。

戦後68年の今年は、鹿児島出身の高田チエ子さんが当日長崎で被爆され、その体験をもとに綴られた原爆体験記

【夾竹桃の花ふたたび】
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をもとに、さらに母がご本人に取材をさせていただき、平和への切なる願いを受け、母と私、そして、母の教え子さん6名、計8人のキャストで舞台劇にさせて頂きました。



原爆が落とされたあの日

一瞬のうちに失った大切なもの

大切な人との別れ

あの日から今なお続く苦悩の日々

決して忘れることのできない

毎日のように蘇るあの日の記憶・・・

チエ子さんの思いを

あの日、亡くなられた多くの方々の思い

遺された遺族の方の思い

なるべく忠実に、お伝えしたい。

そんな思いで本番を迎えました。


驚くことに、当初、体調がすぐれない為、来られないと聞いていた高田チエ子さんが、わざわざ施設を抜け出し、当日は舞台を観にきて下さいました。

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※(取材を受ける高田チエ子さん)

本番を終えて、チエ子さんが伝えたかったメッセージがちゃんと伝えられたのだろうか?演じられただろうか?数々の不安がありました。

舞台終了後にチエ子さんへ感想をお聞きしました。

かえってきた言葉は「ありがとう」というお礼の言葉でした。

その一言を受け、ひとまず胸をなでおろし、涙が止まりませんでした。


まだまだ未熟な、そして、戦争を知らない私たちです、100%理解は出来ないかもしれません。でも、まずは、この公演を通して、過去を知ること、共感すること、同じことが繰り返されないよう、声をあげることはできる、これからも続けて行きたいと心に強く思いました。

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※(母:たぬき)

来年、この公演も15周年になります。

まだまだ伝えなければならない事がたくさんあると思います。

早速、準備に入ります。

年に一度のこの日、家族・仲間、多くの協力者や見にきて下さる方々と共に平和について真剣に考える日が徐々に定着しつつあります。

これからも何卒、ご指導、ご協力をよろしくお願いします。

感謝。






※今回私は、チエ子さんの働いていた軍需工場の寮長、清野努先生役を演らせて頂きました。
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※(昭和20年・被爆前の清野先生)

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※(昭和20年・被爆後の清野先生)


※この写真は、私の大好きな、そして尊敬する写真家 【日髙裕之】氏に撮影して頂きました。

日髙さん感謝m(_ _)m

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※(現代の清野先生)

田上晃吉