2018年5月21日 | 大腸がん、多発性肝転移の母と私のブログ

大腸がん、多発性肝転移の母と私のブログ

H26.11.5にHPNにて退院、在宅でのケア、体調、日々の記録を付けていきます。入院したら入院日記もつけます

H28.11.2ブログ再開またよろしくお願いします

H30.2.9母親に横行結腸癌、多発性肝転移が見つかりステージIVでした。

晴天のこの日14時過ぎ、世界で1番大切な母が他界しました。あまりにも突然でした。



その何日も前から夜中はずっと起きて座ったり、ベット柵を乗り越えちゃうことがあったので睡眠薬にアタPを点滴してもらってました。

それも効かなくなり、本人も身の置き所がないのか起きたり寝たり繰り返すようになり、夜間だけ鎮静を使う事になりました。
それが無くなる2日前。

シリンジポンプを使って21時から6時までドルミカムを使う事になりました。
1日目は問題無く目覚めてくれましたが昼間やはり薬が残ってるようでした。


辞めようか迷いましたが、本人がゆっくり横になって寝てるのが久しぶりに見たので楽なんだったらもう少し寝かせてあげたいと続行を先生に頼みました。

その夜珍しく意識もハッキリしているようで笑顔だった様に思えました。

朝看護師さんに血圧が66まで落ちてると心臓はしっかり動いてるけど呼吸回数が弱く呼吸の方が先に止まるかもと、でも薬が抜ければ戻って来てくれるとそう信じていた…いや信じたかったのかな。


日勤の看護師さんに変わってからは刻一刻と悪化して行きアゴナール呼吸(喘ぐような呼吸の仕方でも呼吸はほとんどできていない)

が始まり、酸素着けてもらい頑張ってくれた。何故かその日に限って眠気が襲ってきて親の手を握りながら昼寝をしてしまった…看護師さんからのゴメンねお母さんの心臓が…の声に飛び起きて母を見るともう苦しそうに呼吸はしていませんでした。

めちゃくちゃ泣きました、個室だったので騒ぎもしました。子供のように泣き喚きました。
でも時間が無いと思い、
「お母さんありがとうね〜」
「お母さんの子で良かったよ〜」
「お疲れ様、もう苦しまなくていいよ」

それだけ告げました。
すると止まりかけ鼓動が返事するかのように反応しその後す〜っと脈もなくなり鼓動もなくなりました。
お化粧等して貰い眠ってるかのような母に葬儀屋さんが来るまでの間、子供の頃にしていた添い寝をしたいと看護師さんに頼み同じベットに寝かせてもらいました抱きしめた母はまだ暖かかった。


その後のことは私も高熱出ていたのであんまり覚えていないです。


大腸がん発覚から3ヶ月半すごく頑張ってくれたと思います

1人になって、この1ヶ月、凄く辛かった、というか今も辛い、それと世間の障がい持ってる人に対しての偏見を親がいなくなった途端感じる様になりました。

私はまだ帰れていません、入院中です行き場が無いからです…

お母さんを亡くして初めて、些細な事で口論したり、褒め合ったり、感情をぶつけあったりする事が出来るのって凄く短い時間なんだなと感じさせられました。

末期だったのに最期まで私の事を気遣ってくれ、最高の母でした。

お母さん、26年間ありがとう
お疲れ様でした。