この歳になると何かと家族を想う心が強くなってくるもの。

それと同時に幼い頃の記憶をたどることも増える。


7月15日、家族3人で一日遊んだ。


色々と思い出の地に行こうという毎月15日の家族イベント第一回目。

第一回目ということであまり冒険もせず、とりあえず地元めぐりをした。


地元だからよく行く場所であっても思い出として残ってるからなつかしさは蘇る。




「あだ名」のブログのコメントで姉貴が書いていたのを見て思い出した。

私は小さい頃「もー怒った」とよく口にしていたみたいだ。


姉や母から私の小さい頃の話を聞くと思うのだが、私は昔から相当お調子者だったんだろうなってこと。



思い出の地をぶらぶらとしていると段々自分が幼い頃に戻る感覚に陥る。

小さい頃思っていたこと、見ていた世界観…


それで思い出したこと。


姉貴は遊び相手だった。

姉貴と姉貴の友達の後ろにくっついて一緒に遊んだ。

ゴムダンをした記憶もある。

バトミントンも一緒にした。



そして私は小さい頃、いじめられていたけど姉貴がよく助けてくれた。

姉貴をスーパーマンのように思っていた。


昔住んでいた家の近くに一本杉公園という場所があった。

私と姉貴はそこでテニスをする母と父を見に遊びに行ったときのこと。


野良犬だったか忘れたけど、放し飼いにされている犬がいた。

私は犬が嫌いで犬が吠えるだけで泣き出すくらいだった。

案の定その犬も私と姉貴に吠えてくる。

私は怖くて走って逃げた。


そしたら犬が追いかけてくるのである。


私はあまりの恐怖に腰がぬけてしまった。

すると姉貴が私をおんぶして逃げてくれたのを覚えている。

あの時の姉貴は本当にスーパーマンだった。




母親は厳しく、優しい人だった。

箸の持ち方でよく怒られたり、お手伝いをサボると怒られたりした。


でも私が泥だらけになって帰ってくることには怒らなかった。


母親が厳しく教えてくれたこと、当時は本当にイヤだったし、なんで「こんなに怒りんぼなんだ」と思っていた。

一方、服をよごして帰ってくることを嬉しそうにしていた母親にいつも疑問を感じていた。


今になってその疑問は解決した。

母親は私を本当に上手に育ててくれた。

ありがとう。


母親が妥協無く育ててくれたのは今さらものすごく嬉しいことだと気づく。



母親を本気で感謝したのは高校生の頃。


私が通っていた高校は私の肌に全くあわず私は学校を辞めたくて仕方なかった。

それで母親に学校を辞めたいと伝えた。


私は母親が本気で怒るだろうなと思っていたのだが母親は私の思いを理解してくれようとした。

そして「学校行きたくないなら行かなくていいよ」と言ってくれた。


それが本当に嬉しかった。


しかも母親は一日私と学校サボって遊びに行こうといってくれた。

二人で山梨の方までドライブをしたのである。

私はその一日の出来事で学校へちゃんと行こうという思いになった。

なぜそんな気持ちになったかはここでは書ききれないくらい色々湧き上がるものがあって

とにかく母親の器の大きさと包容力に圧倒され

母親の偉大さを知った。


あの日の出来事は私のその後に大きく影響する出来事だった。



7月15日。



家族3人で遊びに行ったことは私に様々な思い出を蘇らせてくれた。


そしてこの家族の一員で本当によかったと心から思う一日だった。