もしも一年後、死んでしまうとしたら
「生」という光が差し込んでいる現状に気づかず、光の大切さを忘れている私たち。
「死」という影が常に我々の後ろにつきまとっていることを忘れてはしないだろうか。
光がしっかり照らされる中で、ふと見ていただきたい。影がきっちり見えているだろう。
だからあえてこの「もしも~」に追求してみることが大切だと思う。
私が一年後、死んでしまうという事実を想定したらどうするだろうか。
明日死ぬわけではない。
一年間生きることが可能なのだ。
必ず一つ目標を立てるであろう。
死ぬまでに何か一つでも、二つでもいい、きっと自分にとって一番やりたいことをやるであろう。
私は考えた結論、やはり広告を作りたい。
その広告とはどこかの企業のブランディングを高めるためにやるわけではない。
ただ、自己満足な作品を作りたい。
すごいクリエーターと莫大な資金を利用して。
そのためにやることといえばお金集めであろう。
どうやって集めよう…
出資してくれそうな会社なり個人なりを訪問して、まずことの詳細と実際の作品のコンペを行うだろう。
しかしこのお金はスポンサー料ではなく明らかにボランティア基金になるから会社なり、個人名は作品には含みません。
(きっと本来だったらここで広告として売り出します、というのだろう…)
金はこのように用意する。(妄想だから不可能とか考えないで下さい)
その次にクリエーターだ。
これは難しい。
本当にすごいクリエーターとは大手広告代理店D社に勤めるクリエーター集団をすごいというのか、私の身近にいる、私のことを良く知る美大の奴のほうがいいのか、悩みどころです…
私はきっと友達を選ぶ。
私の意図をしっかり理解してくれるから作品会議が早そうだから
(ここで本来の社会なら全然プライベートも知らない人と仕事を組むことが現実的にあるであろう。)
こうやって作品作りの土台を作った。
さぁでは広告を作りましょう。
私は3つの分野を利用する。
壱、看板広告
弐、CM
参、WEB広告
この三点をミックスさせて(今流行りのメディアミックス)作品を作る。
まず看板広告で作品の一番キーポイントとなる言葉をでかでかと載せる。
その後ろにはその言葉をより深くイメージできる写真なり、絵なりを載せる。
完全に看板広告は「気づき」のみの効果を狙う。
そしてCMを流す。
これはドラマ仕立てにする。(今流行りのドラマーシャル)
15秒間にこだわる。
あくまで他のCMと変わらない時間だ。
そのCMの最後にラ○フカードのCMのように
「続きはWEBで」と言っちゃう(笑)
ここではつまり「きっかけ」となる。
最後にWEBだ。
現代技術ではまだアニメーションレベルだから今すぐの実現は難しいが2年後くらい未来を想定して、WEBでも完全な映像加工が可能な世界での作品を作る。
ここではドラマーシャルの続きを一時間くらい作る。
で、何を広告したいか。
それは 自分が生きてきた人生の中で多くの人々に持ってもらいたい考えを強く訴える。具体的な内容は伏せるが、私が一年後、死ぬのならこれをやるだろう。