私は小田急線が喜多見駅と狛江駅の間を通過するとき、電車の窓から見えるあるマンションに注目してしまいます。
それは茶色っぽい9F建ての建物です。
特に春先の暖かい晴れた日の昼頃、私はその建物を直視してしまいます。
そして、それを見ながら少しだけ微笑んでしまうことがしばしばあります。

あの日以来、あまり感情的になったことがないなぁ・・・と思いながら。


「何でだよ!?」


この言葉しか出てこない経験をしたことがあります。他に言葉が全く思いつかないのです。

高校生の頃です。


この子のためなら死んでもいいと本気で思うくらい好きだった女の子がいました。

歳は私の一つ下。

少し大人っぽくて、下ろした長い髪が印象的でした。
普段は表情がない子でしたが、笑うと人懐っこい顔をする子でした。

好きになったのは彼女から。

いつの間にか二人で遊ぶようになっていて、気づいたら手を繋いでいたのを覚えています。
その日から付き合うことになりました。
思い出すとキリがないけど、高校生だったからお金もあまりもっていなくて、もっぱら彼女の家の近くにある多摩川に行ったり、公園で遊んだりしました。

よく自転車や原付バイクを二人乗りし、絶対に事故らないように!と慎重に運転をしたこともありました。

テスト前は二人で地元の図書館に行き、勉強などすぐ飽きて、持ってきたウォークマンを二人で聞いたこともありました。

とにかくあの頃は彼女なしでは自分のアイデンティティも保てないくらい、彼女に執着、依存をしていました。

時が経てば経つほどそれは強くなる一方でした。


そんな彼女から別れを告げられたのは付き合いだして一年ちょっとくらい経ったころでした。
理由は簡単、私はそれを知った上で、「それでも!」と思い付き合っていたのですから・・・

彼女には他にも男がいたのです。

私は彼女なしじゃ生きていけないと本気で思っていました。
だから何度も別れたくないと言ったのを覚えています。
でも彼女はもう何も聞いてはくれませんでした。


どうにもならなかった私は

「何でだよ!?」

と言いました。

何を言っても何をしても何も変わらないと分かった私が出てきた無意味で無意識な言葉でした。
彼女に私という存在をすべて傾けていたが故に、関係が崩れることで私の自己は崩壊しました。
もはや私は、一人では立つことが出来なくなっていました。


「何でだよ!?」

と何度も繰り返して言いました。
しつこく言えば、また私の方を向いてくれるかもしれないとでも思ったのでしょうか・・・

彼女に最後に言った言葉、もっと格好良いこと言えただろうって今考えると思います。
別れてからしばらく涙が止まらなくなってしまいました。
泣き疲れて寝て、また起きたら疲れるまで泣いて・・・ってどっかの歌手が歌詞に書きそうな日々をだらしなくも送っていました。

そして涙が枯れ果てたときには、私の「感情」は死んだように心の奥底に身を潜めるようになっていました。



彼女から別れを告げられた私は、ゼロに等しい精神力を振り絞って、喜多見駅までうつむいて歩き、グチャグチャの不細工な顔で電車に乗りました。
電車の向こう側に、彼女が住むマンションが見えます。
茶色で9F建ての建物。
私は真っ赤になった目でそれを見ながら、

「こんなつらい思いは二度としたくない」

と心の中で叫んでいました。



あの頃、太陽の日差しは日に日に強くなってきていて、ついこの間、咲いたばかりの桜も散り始めていました。



春先の暖かい晴れた昼頃、私はこの子のためなら死んでもいいと本気で思うくらい好きになった彼女と別れました。

終わり