前回の続きです。


前回の記事で書いた通り、

中学で国文法を勉強していると、高校で古典文法を学習する際に有利に働きそうです。


しかし、僕はそれでもなお「国文法を教えるくらいなら、日本語文法を教えた方がよい」と思っています。


なぜなら、国文法を勉強するメリットは古典文法学習が若干有利になるというだけで日本語文法に比べて実用性は低いし、国文法を勉強するデメリットがメリットに比べて大きいと考えられるからです。

そのデメリットとは、国文法のせいで「日本語の文法」が嫌いになってしまう生徒がかなりの割合でいることです。


だって、例えば、「だろ・だっ・だ・な・なら・○」(形容動詞の活用)なんて覚えさせられても意味不明だし、そもそも「形容動詞」っていう名前が意味不明じゃないですか。


極めつけは助動詞の識別。

例えば、助動詞「た」の識別で、「~ている」「~てある」と言い換えられれば、「過去」「完了」「存続」のうち、「存続」意味とわかる、というような識別法のことです。


この識別法を知っていたからといって、テストの点が上がるかもしれないというメリット以外に、何かあるんでしょうか。少なくとも僕にはメリットを感じられませんでした。



一方で、日本語文法の方は、とても意味があるように感じられました。(まだ日本語文法は勉強し始めたばかりなので上手く説明できないのですが…)


先ほどの「た」でも、国文法のように「た」だけ別に取り上げて意味を解説するにとどまらず、テンスとアスペクトという概念を使い、体系的に勉強できます。


ちなみに、テンスというのは、時間を表す表現のうち、「発話時」との時間的前後関係を問題にするもので、 アスペクトというのは、時間を表す表現のうち、「出来事」との時間的前後関係を問題にするものです。


テンスを勉強すれば、「私はご飯を食べる。」という文が実は「未来」を表しているということもわかります。

※「食べる」というような動作動詞のル系(~る)は「未来」を表し、「現在」を表したいときはテイル系(~ている)を使います


これを知っていれば、先ほどの文を英語に訳すとき

"I eat rice."とするようなミスはなくせるのではないでしょうか。

正しくは、たぶん、"I'll eat rice."です。


逆に、"I eat rice."を日本語訳すると、「私はご飯を食べています。」となります。


今まで「~する」は現在形で、「~している」は現在進行形、というように機械的に覚えてきたので、このテンスの概念は僕の中ではかなり画期的でした。


"I eat rice."をいままで「私はご飯をたべます。」と訳していて、何か違和感があるけど、それがなぜだかわからない状態が続きました。それが、日本語文法を少し学んだことによって一挙に解決しました。


このように、日本語文法を学ぶと、日本語学習だけでなく、外国語学習にも役に立つのです。


これ以外の例もあげておきましょう。


例えば、「象は鼻が長い」を英訳しなさい。 っという問題が出されたとすると、中学生たちは途端に苦しみ始めます。

「~は」も「~が」も、今まで英語では主語を表して来たのに、それが二つもあるとはどういうこっちゃ??

というようにです。


無理もありません。これは、日本語特有の表現で、このような表現は英語には存在しないから混乱するのです。


日本語文法によると、「~は」は「主題」を表し、それ以外は「解説」を表します。

先ほどの例では、「象は」の部分が主題。「鼻が長い」の部分が解説です。解説の部分はさらに細分化できて「鼻が」の部分が主語(主格)、「長い」の部分が述語です。


このように「主題―解説」、解説の中に「主語―述語」というような階層構造になっているのが日本語の特徴で、英語はこのような構造にはなっていません。


これを知るだけで、「日本語と英語とは全く考え方が違う言語なんだ」ということを認識することができます。

そうすれば、先ほどの英訳が"Elephant has a long trunk."となるのも納得ができるのではないでしょうか。



日本語文法の有用性を上げるときりがないのでこの辺にしておきますが、


とにかく、以上のように、国文法を勉強するよりも、日本語文法を中学で勉強した方がはるかに有用ではないかと思っています。


皆さんはどうお考えですか?