ペットとのかかわりかたは、昔と比べて大きく変わってきました。

かつてはペットフードも殆んどなく、人間の食べ残しを与えるだけでした。また、ペットが病気になっても、動物病院へ連れて行くなどといった発想もありませんでした。亡くなっペットは、庭や公園へ直接埋めてしまうような時代でした。犬は外飼いが当たり前で、猫は半野良のような状態でした。

現在ではどうでしょう。健康に気遣ったペットフード、病気になれば当たり前のように動物病院へ行きます。亡くなった亡骸は火葬行者によって懇ろに荼毘にふされます。

単なる飼い犬、飼い猫(昔はペットといえば犬か猫でした)から、現在では家族の一員として、大切に生活を共にします。

しかし、それはペットが生きている時の話。亡くなったとたんに、人間と動物の違いに差をつけるのです。

人間と動物の仏壇は分けなければならない。線香ですら、人間は1本まんま、動物には半分に折って使わなければならない。などなど……

あれだけ家族の一員といいながら、畜生の存在へと豹変してしまうのです。

命に違いがあるのでしょうか。しかもその違いに差をつける。それを口にするのは僧侶なのです。私も僧侶です。しかし、私は動物と人間の命に違いがあるとは思えず、そのうえ命ちに差をつけるなど僧侶として正気なのかと思ってしまいます。

命に違いあるとする根拠はどこにあるのでしょうか。私には命の違いを証明する根拠を見出だすことはできません。命に違いはないとすることが自然であり、宇宙の道理なのではないでしょうか。


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