先日、トルコ人の義弟VEDAT(ヴェダット)が急遽亡くなった。
彼は初めて仲良くなったトルコ人で、
兄弟で千葉中央のケバブ屋をやっていた。
彼と知り合ったのはもう10年以上前だから、
長い付き合いだ。
初めてあった頃は朝までよく遊んだし、
彼とはいろいろな話をした。
冗談な話しから哲学的な話し、
過去に京都にいた話しやプライベートな話も。
『店やってる人はお客さん皆んなと仲良くはなるけど壁を持たなきゃいけない』
『ましてトルコ人と日本人という壁もある。』
『でもお兄さんだけだよ、壁無くなった人は。』
と言われた。
日本人よりも日本人らしいトルコ人。
昔の律儀な日本人の様な性格。
日本語も流暢で日本の礼儀も弁えていた。
歳上の日本人の奥さんに仕込まれたのかと思いきや、元々かなり日本で苦労と経験をして来たからだと話しを聞いてすぐに分かった。
私が持ってるバイクやクルマを売ったり、
一緒にケバブの出店場所探しに行ったり、
千葉市内はもとより都内にも沢山遊びに行きました。
クラブやBARに行ったり、ナンパしたり、
静岡にドライブやらイベントのお祭りやら、
一回だけBBQもやりました。
私より10も若いので訃報を知った時、
まさかと悪い冗談にしか思えませんでした。
ウチがケバブ屋やるきっかけは彼のおかげ。
彼と地元のスーパーの本社に乗り込んで直談判した。
かなり厳しい事を言われながら出店許可をもらい、
いざ出店するも田舎だからケバブ自体の認知度も無く最初は売れずにイマイチだった。
彼が出店をやめたがるのまだ諦めたら勿体無いんじゃないかと言ったら、
彼は即座にお兄さんがやればいいといい、
ソースのレシピやら機材の手配やらしてくれた。
今思えば彼は最初からそうした方がいいと思っていたのかも知れない。
ウチのケバブが軌道に乗ると忙しくなり、
私の加齢による体調不良と子供達の格闘技稽古や思春期制御で千葉市内に遊に行く暇もなく、
なかなか皆んなに会う機会も少なくなり、
定期的な肉の仕入れの時にタイミングよく会うくらいだった。
たまに付き合いで年1くらいの感じで友達を連れて行くと、沢山食べても私の顔を立ててお金を取らない事も度々あった。
もちろん数ヶ月ぶりに会ってもいつも変わらず、
親しみ深く、間違いなく義弟と思っていました。
しかし亡くなる1か月くらい前に、
肉の仕入れで店に寄ると、
ちょうど交代時間で彼が出てきた、
クルマに近づくと、
『お兄さんげんき?』といつもの挨拶だったが、
どこかよそよそしさを感じたので、
私は『いつもクルマに乗ったまま挨拶しないでごめんね。体調がイマイチでさ、でも少しずつ良くなってるから、また近いうちにBBQやりたいね。』
と話すと、
『そうだね。やりたいね』と言いつつ『またね』と淋しそうな顔をした。
この時私はご無沙汰だからかな?くらいしか思わなかったが、
これが彼との今生の別れだった。
いま思えば、
きっと別れの挨拶だったのだろうと思う。
亡くなった2021年10月7日木曜日の翌日の8日、東京のモスクで、
実の兄のセラミがヴェダットの為に祈りますと言う話しを聞き、
私も義弟にサヨナラを言いに東京ジャーミーに行きました。
外からそっと祈るつもりが、
友情あるトルコ人の友人ゲンジャが中まで案内してくれて、兄セラミ、従弟アイハン、メメット、ビローやノリさん達に会えた。
セラミに会った時にはもう耐えられず涙してしまった。
セラミ『ごめんね、時間が来ただけだよ』
私『時間が短過ぎだよ』
セラミ『そうだね、短かったね』
私『涙、、、』
なんかあれば手伝うつもりでいたのに、
1番つらいはずのセラミに慰められてしまった。
10/12にはセラミと飛行機でトルコに帰り、
13日にはトルコのエスキシェル公園墓地で葬儀すると聞いた。
残念ながら私は行けないが、
日本に彼が残したケバブ業を私は守ると誓った。
そしたらその矢先に8年使いまくったケバブカーが走行不能に。
しかし12日のモスクからの帰り道に全く同じ軽トラックを競らずにかなり安く落札していた。
そしてその引き取り先は京都。
なんでまた京都、、、と思っていたら、、、
実は彼の前の奥さんとの子供が京都在住だっだと思い出した。(昔そんな話しまでしていたのだ)
それを従兄弟のアイハンに伝えた。
兄セラミも横にいたみたいだ。
きっと彼が気がついて欲しかったんじゃないかと思ったから伝えられて良かった。
そして私達にもケバブ頑張ってと応援されているのだと確信している。
箱を積み替えてまたしばらくは走れる様になったケバブカーで、
ヴェダットが残したケバブを沢山の人に味わってもらう様に頑張って行こうと思う。
そして私達は間違いなく異国の義兄弟だ。
私はヴェダットは天国で祝福されていると祈る。
そう言えばイスラムのお祈りしてるから天国にいけるんだよと、
そんな話しもした事あったな。
彼との濃い時間の想い出は尽きない。