ついに実家売却 | やりましょう!やってみましょう!(介護編)

やりましょう!やってみましょう!(介護編)

5年前に遠距離介護から始まった義父母の介護。
義母は亡くなり、今はアルツハイマーの義父が
施設で暮らしています。義母亡き後の義父への
対応を模索中です。

雨の降る中、夫の実家のある某地方都市に行ってきました。夫の実家を売却するためです。


不動産屋さんから、認知症の義父の家を売却するには後見人が必要と言われて、それで、私が後見人となったのです。


用意するように言われた書類等は

・実家の権利書

・後見人の印鑑登録証明書

・後見人の実印

・後見人の身分証明書(免許証など)

・後見人の登記事項証明書

・裁判所の許可申立審判書

・義父の住民票

以上、7点です。


不動産屋さんは後見人制度がわかっていないようで、一番最初は「本人(=義父)の身分証明書をどうするか問題ですね。」と言われました。後見人がついてしまったら本人は法律的な契約は出来ないのだから、身分証明なんて必要になるはずはないのです。嫌な予感を抱えつつ手続きに行くと、


用意されている書類に既に義父の署名欄が印字されています。後見人が署名したらそれで契約が成立するのですからそんな欄は不要です。


「だから、後見人がついたら契約書なんて交わせないの!」「後見人と言うのは本人に代わって手続きする人なの!」って、言いたくなりましたが、余計にある分には問題ないだろうと思って署名してきました。



市役所

義父の住民票を取りに市役所に行きました。地方都市なのですが立派な市役所です。そして、周りには文化ホール、美術館などもあります。


義父が今の家に転居したときに「これからは、文化の香りのする生活をするんだ。」と張り切っていたのを思い出します。あのとき既に75歳でした。有り金ほとんどはたいて買った家は、数年しか住まない内に今日、買値の半額以下で売られましたうーん


駅から市役所に歩いていくと、まだ、元気だったころに食事をしたホテル、孫に洋服を買ってくれた百貨店の横を通りました。そして、遠距離介護が始まった頃に義父とよく行った補聴器屋さん、お菓子屋さんの横も通りました。


そのお菓子屋さんとは今や有名になった

↓ です。


ラスク2

義父が元気だったころ、帰省をするたびに、「帰りに車の中で食べなさい。」と色々なお菓子をくれました。まだ、ハラダのラスクが無名だった頃に「ラスクは好きじゃなかったけどこれは美味しいから」と言って持たせてくれました。義父は美味しいお菓子を探し出す名人でした。義父からいただくお菓子にハズレ無しでした。


元気だった頃のこと。だんだん弱っていった頃のこと。一度に10年分くらい思い出して、なんだかドッと気疲れしました。


夫の実家が乱雑になった頃、娘たちを私の実家に預けて夫の実家の掃除に通っていました。ゴキ○リとハエがいっぱい湧いてました。おかしいと思っていたら義母が脳梗塞で入院して、時間を置かずに義父が徘徊して、定期的に顔を出さなければいけないと遠距離介護が始まって、自宅での暮らしは無理になって今の施設に夫婦で入所して、義母が亡くなって・・・・・・


思い出すのを止めたくても止まらなくて、思い出しながら「これで良かったんだろうか?」って苛まれて、ずっと気にかかっていた家の売却が終わったら爽快な気持ちになると思ってたのに、かなりドンヨリした気持ちになりました。


帰りに新幹線の中で知らない景色が多いことに驚きました。あんなに乗った新幹線なのになぜ?必死になって介護していたときは、行きは明け方に出発して新幹線の中ではぐっすり寝てました。そして、実家に着いてからは通院、買い出し、洗濯、掃除、食事の用意とギリギリまですることがあって、暗くなってからしか新幹線に乗っていなかったのです。



ラスク1

なんだか切なくなって、お行儀が悪いのですが家族へのお土産のラスクの封を開けて食べました。そうしたら、最初にラスクをくれた頃の義父を思い出して更に切なくなりました。