今日も桜に関するブログです。
物心ついてからは自然に囲まれた田舎で育ったので、いつも心のどこかで都会の自然には価値がないと思ってしまう。
元からある自然に人工的に手を入れているのは田舎も変わらないのだけれど、
田舎なら車で5分も走れば目に見える人工物はアスファルトだけになったりする。
写真は桜じゃないけど4月末
アスファルト、コンクリートジャングル、商業施設、公園ってゆう並びには東京で何年過ごしても違和感を感じる。
それが悪いとかではなく、この気持ちが田舎と今でも僕と田舎を強く繋げているとゆうのが、嬉しかったりする。
それでも東京に来たばっかりの時は、都内で花見をするのは、お祭りみたいで楽しかった。
当時は花見は飲む理由の一つでしかなかった。
それから十数年、東京で生活してきたけれど、花見に熱心だったのははじめの2〜3年で、それからは散歩して見る程度になった。
それは個人的に花見に一番必要なものがはっきりしたからだと思う。
今僕が花見に必要なのは酒でも美味い肴でもなく、
静けさ
だ。
散歩しながら花を見るのでも、都内だと静けさの中で桜が見れることはほとんどない。
車の音や、他に散歩してる人たちの音、それに川沿いだったら耳だけじゃなく鼻まで刺激されてしまう。
だから花を見にいかなくなった。
コンクリートの中にいきなり現れることにも違和感を感じるし。
東北は東京より約一月遅れて桜が咲く。
うまくいけばちょうどGWの頃。
だから毎年GWには田舎に帰って、桜を見るようにしてる。川のほとりがずーっと畑になってるすぐそばの道に桜並木がある。
それを川の土手からボーッと眺めるのが一番いい。
東京に出ると決めた頃は、田舎じゃ音楽なんてろくにできなかった。だから地元には何もないし、やりたいことは何もできないから、都会にいかなきゃって思って出てきた。
皮肉なもので、なんでもあると思って出てきた東京には、
この歳になって改めてわかった、ずーっと地元にあった僕の必要な、一番素敵なものがなかった。
こんだけ田舎の桜を語っておいてなんですが、
甲殻類の「夢桜」も、ソロの「桜並木の下で」も、
舞台は東京です(笑)
来年には湯沢の桜の歌を書きます!!
