リッキーのオールブログ

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主に大相撲夢場所の報告、リアルの大相撲・
バラエティ・漫画・アニメ・ゲーム・特撮や
に関することなどの感想や雑談。

チョコレートプラネットの松尾氏がYouTubeで発言した内容が波紋を広げた

「芸能人やアスリート以外はSNSをやるな」「素人が何を発信してるんだ」
「見てりゃいいの」

──この言葉はあまりにも乱暴で、発言の温度感を誤っていた。だから批判が集まるのも当然だろう。だが、冷静に見れば松尾の言葉は全て間違っているわけではない。
これに噛みついたのがYouTuberの石川典行。「素人呼ばわりは多くの人が不快に感じるだろう」と前置きしつつ、
「SNSなんて俺たちの遊びのツールだ。個人が好きに発信するためのおもちゃだ。後から入ってきたやつがゴチャゴチャ言うな」
と強い不快感を示した。そしてさらに
「芸人は素人から支持されて仕事をもらってるんだろ?なのに都合が悪くなったら素人呼ばわりか?おかしいだろ。じゃあテレビだけ出とけよ!」
と怒りを爆発させた。
最後には「見下しすぎだ」「配慮が足りない」とまとめていたが、結局は松尾への反発に終始していた。

問題は、松尾氏と石川氏のどちらが正しいかではない。SNSの現状そのものにある。
もうSNSは「おもちゃ」では済まない。数十年前の黎明期ならまだしも、今や広陵高校の件のように組織機能を止めてしまうほどの力を持っている。テレビや新聞と同等かそれ以上の影響力を持つ存在。そんなものを「遊び」として使い続けてきたネット民が正しい使い方をしてこなかった。そのツケが今になって回ってきている
さらに矛盾しているのは、ネット民が芸能人に「お前たちは影響力があるんだから」と責任を押し付けておきながら、自分たちが「素人扱い」されると烈火のごとく怒り出すことだ。普段はメディアや芸能人に品行方正を求め、少しの失言にも「謝罪しろ」と突っかかる一方で、日頃の誹謗中傷や攻撃を正当化するため、この騒動を免罪符にして今後も同じことをやるために利用しているようにしか見えない。これこそが異常だ。
松尾氏の発言は確かに不器用で乱暴だった。しかし、それを叩いているネット民もまた自分たちの矛盾や長年の無責任さを直視しないまま暴れているだけ。

ネット民はもう何十年も同じことを繰り返している。このままではいつまで経っても健全な場にはならない。いい加減に現実を直視するべき。
名古屋場所での豊昇龍の休場を受け、またもや“あの男”が下劣な発言を繰り出した。

漫画家のやくみつる。かつては相撲を愛する知識人のように扱われていたが、今や見る影もない。名古屋場所を終えたばかりの新横綱に対して、ポストセブンで「モンゴルの温泉で泥パックでもしてこい」と平然と嘲笑した。

失笑では済まされない。これはれっきとした人間性への侮辱であり、相撲界と横綱制度への冒涜だ。

さらに驚くのは、それを掲載したのが「NEWSポストセブン」という、いわば「週刊誌の皮をかぶった便所の落書きメディア」だったということ。まともなジャーナリズムが機能していれば、あのような無責任な放言を垂れ流すことはできなかったはず。

しかも記事の中では、「金星配給が多い」「横綱の資質がない」などと、まるで事実のように書き立てるが、肝心の数字は恣意的に抜き出されており、比較として出された朝青龍自身も昇進当初(昇進3場所で7個)に金星を与えていたという歴史を完全に無視している。

要するに、書きたい結論に向かってデータをねじ曲げ、現役力士の心身を踏みにじっているのである。

やくみつるに至っては、もはや“好角家”の看板を下ろすべき。「誰が大横綱になるか楽しみ」と語る裏で、横綱経験もない人間が平気で引退勧告を口にするなど、傲慢にも程がある。

豊昇龍はまだ昇進3場所。デビューからわずか2年で横綱になったばかりの大の里とともに、次代の土俵を支える存在で、そこで何かにつまずいたからといって、バカのひとつ覚えのように「引退」だ「泥パック」だと騒ぎ立てる姿勢こそ相撲を貶める行為そのもの。

いまの相撲界に必要なのは、辛口風の暴言ではない。的確な批評眼と、未来を支える力士たちを見守る目線だ。

やくみつるとポストセブンは、そのどちらも持っていない。

ジャンプの顔として長年君臨してきた『ONE PIECE』。

かつては間違いなく“国民的漫画”であり、誰もが心躍らせながらページをめくった作品だった。自分自身も小中学生のときはどっぷりハマっていた。他のどの作品よりも面白くてNO1。そう思ってた。ホントに誰よりもONE PIECE信者だったかもしれない。

だが今のONE PIECEはどうだろう?その神通力は確実に失われている。

そして、それは単なる一部の読者の感想ではなく、ついにジャンプの元編集長・鳥嶋和彦という“業界のど真ん中”からも突きつけられた現実となった。


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■ 鳥嶋和彦が指摘した『ONE PIECE』の5つの問題点

1. 「子どもの漫画じゃない」ではなく「子どもが読んでいない」

かつて少年たちが胸を熱くしたONE PIECE。だが今では、小中学生の読者層から明確に離れられている。ページの情報量が多く、話が複雑化し、感情ではなく設定で物語が進む。
漫画はまず「子どもに届くこと」が前提であるべきだが、今やそれが失われている。
つまり、ONE PIECEは“少年漫画”の顔でありながら、“少年”に読まれていないという根本的な矛盾を抱えてしまっている。


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2. 人気があるなら、なおさら技術を高めなければならない

“売れている=面白い”というのは幻想であり、人気を得た瞬間から、それを維持する義務と技術の研鑽が始まる。
鳥嶋氏は「トップ漫画は目の前で足踏みしていてはダメ。常に読者のはるか先を走っていないといけない」と述べる。
今のONE PIECEは、あまりにも“その場”で回っており、週刊連載としての推進力も吸引力も失っている。トップの地位に胡座をかいている姿は、まさに停滞そのものだ。


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3. 「作家の意思を尊重」ではなく、意見を戦わせるのが編集の仕事

編集者の役割は「先生の好きなように」と言って、作家にすべて任せることではない。
むしろ、時には真っ向からぶつかり、否を突きつけ、作品をともに作り上げていく“共犯者”でなければならない。
「作家の意思を尊重します」と言っている担当は、責任から逃げているだけ。
今のONE PIECEの迷走は、まさに編集者が編集者としての役割を果たしていないことの証左でもある。


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4. 人気作品は“空洞化”しやすい。そこを止めるのが編集者の責任

ナンバーワンの座にいるからこそ、多少手を抜いても目立たない。
だが、それが続けば、ある時点で“読者の心の離反”という形で一気にツケが返ってくる。
それは作品の失速であると同時に、ジャンプという雑誌全体の沈下にもつながる。
一つの作品が堕ちるだけでは済まされない。ジャンプの未来すらも蝕んでいることに、編集部はもっと危機感を持つべきだ。


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5. 尾田栄一郎を“そういう状態”にしてしまったのは担当編集の責任

人気が出たことで「尾田先生には逆らえない」という空気が醸成され、編集部全体が機能不全に陥っている。
その“王様に誰も物申せない”状態が、まさに今のONE PIECEの最大の不幸である。
鳥嶋氏はそれを作家ではなく編集の問題として断言している。
「すべてはOK」ではなく、「だからこそ修正が必要だ」と言える環境が、今のONE PIECEには失われている。


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■ “死にかけの作品”をまだ「面白い」と言い続ける異様な空気

いまのONE PIECEは、少なくともかつてのような熱量や引力、読後の高揚感を失っている。
にもかかわらず、批判する声は未だに“異端”扱いされ、
「理解できない奴が悪い」「昔から読んでないからそう思うだけ」
といった論調で封じられてしまう。

これは作品の批判ではなく、宗教における異端狩りに近い。

・どんなに破綻していても「尾田先生の計算だから」
・感動できなくても「後で伏線回収があるから」

こういった思考停止の信仰が、ONE PIECEという作品の“死”を延命させているだけだ。


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■ 神格化から解き放たれたとき、初めて再生が始まる

「批判してはいけない」という空気が蔓延している限り、作品は再生できない。
むしろ、作品を本当に愛しているからこそ、今のONE PIECEの問題点を直視しなければならない。

鳥嶋和彦のような人物がそこに言及したという事実は、
「これはいちファンの意見ではなく、業界からの赤信号だ」ということでもある。

「終わった」と言われても仕方のない現状。
だが、それでもこの作品が持っていた熱量や理念を知る者ならば、
「だからこそ、変わるべきだ」と言う責任がある。


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■ 読者もまた“作品を育てる側”である

ONE PIECEの真の危機は「つまらないこと」ではない。
「つまらなくなっているのに、つまらないと言えない空気」にある。
これを壊せるのは、鳥嶋氏のような業界人か、本当にONE PIECEを知っている読者たちだけだ。

だからこそ、こうして声を上げ続ける。
「面白くない」と言えることは、読者の誠意であり、作品へのエールでもある。

現代の日本のSNS、X(旧Twitter)を筆頭において、いじめやルッキズムに声を上げながら、日常的に個人叩きや誹謗中傷が横行している。こんな状況下で「人権」や「優しさ」を語ることに、もはや説得力などない。

確かに、「SNSは一枚岩ではない」という言い訳をする者もいる。しかし、それを言い出したら、普段叩いているマスコミ、テレビ局、それこそフジテレビも、別に全員が悪いわけではない。大半が真面目に働いている。
にもかかわらず、メディアに対しては平気で「マスゴミ」と十把一絡げにして叩き続けてきたのがネット民だった。
SNSも同じく、場全体が荒廃しているなら、その批判を受けるべきだ。自分たちに都合の悪いときだけ「一枚岩ではない」と逃げるのは、あまりにも都合が良すぎる。

そもそもSNSは、本来、自分の好きなものや趣味を語るための場だった。政治や企業が乗り込んできて社会運動の場になり、議論や対立ばかりが目立つ今のSNSは、もう本来の使い方とはかけ離れている。

最近では、某俳優と某女優に不倫疑惑が報じられたが、公式のSNSアカウントにまで誹謗中傷が押し寄せた。本来、憶測だけで人を攻撃することは許されるべきではないし、事務所も本気で時間をかけてでも開示請求を進め、悪質な投稿にはペナルティを与えるべきだ。
もう改元して7年。平成ではない。今までのように「何も起きないまま」で放置する時代ではない。

石橋貴明氏や松本人志氏、中居正広氏、そしてフジテレビに関しても、週刊誌報道をきっかけに大炎上した。しかし正確に言えば、
「週刊誌報道そのものではなく、その後の対応が誠実さに欠けていたから、見限られた」という流れがあったとされる。

だが、これにも疑問がある。
なぜなら、「誠実さに欠ける」と批判しているネット民自身が、匿名で無責任に叩き、誤った情報を拡散し、都合が悪くなれば鍵をかけたりアカウントやコメントを消したりするようなことをやっているからだ。
そんな者たちが他人に「誠実な対応」を求めること自体、滑稽としか言いようがない。

以下のような意見があるが、まさにその通りだと思う。

「当事者間の問題に正義ヅラして首を突っ込む週刊誌やネット民こそがゴミだ。自分たちの加害性には一切向き合わず、芸能人だけを叩き、自分は善良な立場にいると思い込んでいる。加害者によって人生を狂わされるのは、芸能人側も同じだ。被害者ポジションを気取るなら、これ以上"被害者"を生み出すな。」



週刊誌とネット民は、自らの加害性に対して異様に甘く、その自覚の無さが、今日のSNSの腐敗を加速させた要因でもある。

「人類にSNSは早すぎた」という言葉があるが、今の日本のSNSはまさにその象徴だ。
もはや叩きや吊し上げが「正義」とされる場に成り果て、正常な議論も、建設的な意見も存在しない。
このような場で「誠実さ」を求めることこそ、もはや無理筋だ。


日本のSNSはもう終わっている。

綺麗事を並べ立て、同時に堂々と誹謗中傷や攻撃を繰り返す。
芸能人の不祥事に対して「誠実さ」を求めるが、自分たちの加害性には無自覚。
本来のSNSの目的からも完全に逸脱している。

もはや回復の見込みはないだろう。
この国のSNS文化は、腐りきったまま静かに死を迎えるかもしれない。

 来年1月から例年通り夢場所の初場所の開催を予定していましたが、僕自身の諸事情により無期限停止とします。よろしくお願いします。

大相撲夢場所、来年初場所の幕内の新番付を発表した。

 

 3横綱は自身初めての4連覇を目指す神乃桜が3場所連続の東正位に座り、初場所で進退を懸ける2横綱、鶴馬龍が西で天神鳳が東の2番手。

 

 3人の大関は3度目の綱とりが懸かる大関服部が東に座り、復帰2場所目の輝富士が西の正位で結城が西の2番手。

 

 三役陣は変動なく、大関昇進が懸かる関脇千代狼が2場所連続で東、西は同じく2場所連続で大和富士。小結はこれも2場所連続で東に照星、西に魔界鏡。

 

新入幕力士はおらず再入幕し力士が4人となった。