怪談第三話

 

私の母は今から25年前に病院で亡くなった。

癌だったのだが、既に悪化していて大腸、直腸、膀胱、腎臓などの臓器が癒着した上、壊死していて機能しない状況となっていた。

しかし、死因はそれによるものではない。

手術により壊死した臓器は切除し、機能している臓器を残すことになった。

無事、手術は成功したのだが、その後、院内感染により病状が悪化して命を落とすことになったのだ。

昏睡状態に陥って十日ほど経った日、長男が誕生し、そのことを病床の母に伝えると、意識不明にも関わらず、大粒の涙を流した。

それはそれで不思議な事であったが、今から話すのはそのことではない。

 

病院名は伏せるが、母が入院していた病院は県内では最も優秀と評判の病院である。

設備や機器は県内随一を誇っており、医療体制も充実していたが、当時、建物は老朽化が著しく、塗装が剥げたり、壁面にクラック(ヒビ)が入るなどしていた。内壁に染みがついていて、深夜にその前を通ると人影にも見え不気味な様相を呈していた。

母が入院中は、私や父それに母の弟妹つまり叔父叔母らは交代で付き添いをすることにしていた。母の実家は貧しく、その上に大黒柱である父、つまり私の祖父が病気を苦に早くに自死したために更に苦労を強いられた。長女である母は四人の弟妹の面倒を見てきたこともあって、その恩返しのような意味もあって、叔父叔母らは熱心に母の付き添い看護に当たってくれた。

その結束力の高さは頭の下がる思いだったが、正直に言うと煩わしくさえあった。何しろ、叔父叔母が付き添ってくれるのであれば、私が知らぬ顔などできよう筈がない。

当番を決め、付き添いに当たることになったが、私の当番が多くなるのは当然だった。三日か四日に一度の割合で当番が廻ってくる。当番の日は仕事から帰ってくるとすぐに病院に向かった。夕食もままならないことがあり、そういう時は向かいにコンビニがあるので、カップ麺やパンなどを買い、病室にて掻き込むようにして食べた。

残業をして帰ることも多く、病院に向かうのは深夜近くに及ぶこともあった。

先述したように老朽化している為、深夜に病院内を行き来するのは不気味であった。特にエレベータは不気味だった。深夜に一人で乗るのは何となく寒気がして、エレベータ内にある鏡に私以外の人影が写ったりしては困るなあなどと思いながら乗ったものだ。エレベータに乗るのが嫌で、それを避け、階段を上り下りすることが多かった。

母が入院していたのは五階であり、そこまで階段で上るのは骨の折れることだったが、エレベータに一人で乗るよりはましだった。

その病院には四階がなく、一階、二階、三階それぞれの階には階段の踊り場が広くなっており扉があるのだが、四階部分には踊り場も扉もなくそのまま階段が続き、五階になって踊り場と扉がついていた。エレベータも同じく、四階はなく、1,2,3,5となっている。四階部分はどうなっているかと言うと三階に手術室があり、二階分の高さになっているのだ。

ある日、私は深夜に病院に着くといつも通りに階段を上っていった。四階まで上って行くと、そこにはない筈の踊り場と扉があった。知らぬ間に五階まで来たのか、それとも勘違いなのか、不思議に思い、下の階に引き替えしてみると、そこは三階となっていた。そしてもう一度上っていくと、そこには先ほどと同じく踊り場があり扉もあった。他の扉にはプレートが付いてあり階数名が記載されているが、その扉には何もなかった。

私は背筋が凍る思いがした。しかしよくよく考え、踊り場も扉もあるのに、それまで気付かなかっただけだったのかも知れないと思い直した。とは言え、流石に扉を開けて確かめる気はせず、肌寒い思いをしながら一気に階段を駆け上り五階にある母の病室に向かった。

翌日、夜が明けてから、階段を下り例の四階の部分を確かめに行くと、そこには踊り場などなく扉も消えていた。

病室に戻ると、私は巡回に来られた看護師さんに訊ねてみた。看護師さんは

「この病棟には四階はないですよ。四という数字を嫌って、三階部分の手術室の天井を高くして誤魔化して居るんです。四階に扉なんかないです。もしあったら、開けた途端、落っこちてしまいますよ。」

と私が聞いていた通りのことを話し笑った。

「錯覚じゃないですか。」

と看護師さんは付け足して言った。

しかし、別の看護師さんに同じことを訊くと、その方は

「やっぱりですか。私は見たことがないんですが、ない筈の四階の扉を見たことがあると言う話は何度か聞いたことがあります。」

と仰った。

「想像すると気味が悪いので考えないようにしていますけど。」

 

私が見た四階部分の踊り場と階数名のないプレートの付いた扉は一体何だったのだろう。

このことは今も時々夢に現れ、苦しい思いをさせる。この記事を書いている最中も背筋が凍り付くようで嫌な気分である。