都営住宅から嬉しい報告書が届きました。 | アプリコットやすみ

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こんにちは。


前々から都営住宅の方に母との同居の申請をしていましたが、昨日母宛てで手紙がきていました。

中を見たら住宅同居許可書がやっときましたが14日以内に引っ越しをして下さいとの事が書いてあり、急いで数件の引っ越し業者の見積りをお願いしましが、今月いっばいの引っ越しは全部埋まっていると言われガーン

都営住宅の方に電話して事情を話したら8月上旬に引っ越しをしてくれれば構いません。

又引っ越し業者に電話して話したら6日、7日が空いているとの事でした。

全部母に合わせた時間帯じゃないといけないので、中々時間の調整が難しいです。

私が朝母をデイに送り出したら急いで、家を出て江東区の自宅で引っ越し業者の立ち合いをして、荷造り終えて家を出て東村山市の実家で引っ越し業者を待っていなければいけません。

多分ざゃなくても、車より私の方が早いからいいけど、7日は心療内科なんだと忘れていました。

8月の5日、6日、9日しか私の勝手ですが、その日しか空いていないんです。

母を1人で数日間放置不可能ですから…

見積りも来週の水曜日の午後1時から3時の間に2件頼みました。安い方を決めて、それから都営新宿線の菊川駅の不動産に行って解約の手続きをします。その日は母のデイからの帰宅時間までに帰ってこられないと思います。

帰ってこられないと思ったらデイに電話をして鞄の中に鍵を入れてあるので、食卓の所まで入れて置いて欲しいと伝えます。


やっと江東区から出られる喜び、結婚するに元夫の職場が亀戸(本社)だったから、社長が引っ越し代金とマンションに入るお金全額出してくれるとの事で私は嫌々引っ越しをしましたが、住めば都と友達に言われましたが、私にとったら地獄でした。

生まれたのは江東区門前仲町、住んだのは2~3年、私の記憶には全く残っていない。

新宿、横田基地があった所、花小金井、最後にたどり着いたのが東村山市でした。

私の故郷は東村山市だと思っています。


やっと帰ってこれた、しかも介護の為ですが、東村山市内は地図無しに何処へでも行けます。

江東区は広すぎて、住んでいた目の前の道路の名前も分からない、多分嫌いだったから覚える気がなかったんでしょうね。(笑)

だからタクシーに乗ると何処の道か分からなくて、運転手さんに口で説明していました。

最初の頃は少し探検して見ようと思って脇道に入ったら、分からなくて、おじさんやおばさんに道を聞きました。

えっ!

末広通り、丸八通り、旧葛西橋通り、分からない、みんな一緒の道路にしか思えなかったのが懐かしいです。


皆さん毎日暑いですが、無理しないで水分補給もしっかり摂取して下さい。