どうも最近、言葉が乱れているようです。

私自身も下町生まれのガサツな奴ですから、

偉そうなことは言えないと自戒してはいるのですが、

それにしても広報とか情報発信を生業としている身としては

やはり気になるというところです。

 

今日は”はらわたが煮えくり返るほど悲しい”というフレーズを聞きました。

大学共通試験で民間の英語検定試験結果が必要というあれが延期になった、

そんなニュースを聞いた高校の先生のコメントです。

ことは本当に怒り、悲しみという事態で政策の大失態であることは間違いありません。

 

ただ純粋に言葉遣いということで内容に対する非難ではありませんのでご了承ください。

 

はらわたが煮えくり返るほど、というのは相当程度激しい感情ということですが、

ここでの感情は「怒り、憤り」です。

はらわたは漢字で書くと”腸”、ですから怒りで腹の奥底が猛烈に熱くなるほどという状態です。

ちなみに、悲しいを言うのなら”はらわたが千切れるほど”ですか。

辛いという感情も表します。

断腸の想いって言いますよね。

 

ん?

いやいや、言葉は生き物で変わるものなんだし「激しい感情が溢れた」ということでいいじゃないか、ですか?

 

私はね、言葉の意味の拡大解釈というか、過度の変化を容認するということは

世の中をどんどんあいまいにするものだと思いますし、

正確な情報提供という仕事に就くものとしてはやはり許してはいけないと思います。

 

曖昧になるとどうなるかという例を一つ。

これもごく最近のことですが「私に任命責任があります」という発言が文字通り責任者からありました。

これは言葉の意味の取違はありません。

ただし、言葉を言葉だけでつまり表わす意味を持たせていない軽薄な言葉になっていると思います。

責任があるとはどういう意味でしょう。

ただそこに責任が存在している、ということではありません。

この発言の場合は

「任命した責任は私にあるので、きっちりと(責任をもって)説明し解決します」という意味になるとは思いませんか。

さて、その通りに行動しているでしょうか。

現在進行形なのでまだ判断は早いのかもしれませんが、私の見るところ?です。

ことばを発して終りというあいまいな状態で収束させようと思ってます?

 

ことばは意味を持ち行動を規定することもあります。

 

神経質になるあまり何も言えなくなってしまうのでは困りますが、

意味は正確に使われているか、場面にふさわしいか、行動をどのように決めていくのか、

そこは頑張ってください。

 

ちなみに”雨男”発言などというのもありましたが、あれは場面(時と場合)にふさわしくないということですね。