庄司薫という作家をご存知でしょうか?

 

 とっくに作家であることはお辞めになってしまっているので、知っている方の方がレアなのかもしれません。でも彼は芥川賞作家なのです。その芥川賞作品が「赤頭巾ちゃん気をつけて」。そして、2016年にお亡くなりになったピアニスト中村紘子さんのご主人。

 

 本日のタイトル刺激の絶対値というのはこの作品の中に出てくる言葉で、主人公薫君の友人”小林”が薫君の部屋でお行儀のいい優等生薫君に絡むモノローグの中で使われる言葉です。

 

 世間の奴らは刺激の絶対値ばかりを上げて喜んでいる、肝心のところで勝負しようとしていない----そんな不満を小林君は語るのです。刺激の強さだけの勝負になって、そのうちパンツまで脱いで「ほらほら----」となるんじゃないかと。

 

 この作品を読んだ頃、確かにそんな時代でした。テレビはどんどん面白おかしくという路線を行くようになり、学生運動にも陰りが出て若者たちは挫折し面白おかしく生きようというような風潮も目立ってきていました。確かに、刺激の絶対値の高い方が勝ちみたいなところがあるなと若かりし錦織君も考えていたのです。

 

 でもそれはこの時代のキーワードではなく、それ以降ずっと日本を表すキーワードとして存在したんじゃないかというのが私の想いでした。景気が悪かろうが、まして悪名高きバブル期はもちろん、その後の失われた20年の間にも。まぁ、ちょっと乱暴なまとめ方であることは認めるにして、とにかく若者文化とTVに代表される大衆文化的なものはそうであったと思うわけです。

 

 この頃、少し違うかと思うようになりました。単純に刺激さえ強ければ人が集まる、支持されるという方向性が変わったかと。確かに今でも、記事になってなんぼというような活動をされている議員さんや組織もあるのですが、もっと本質なところに目を向けようそこの尺度でモノを観ようという若者が増えたかも、と。

 

 たとえば、SDGsに取り組んでいる企業だけが就活対象という若者が増えているといったこと。社会全体に「ちゃんとしようよ」という声があるというような。

 

 これから、そんな声が(あるいは、大きな声には出さないけれども)企業も大小関係なく、個人でも、社会的に世界的に公平だったり平和だったり、持続可能だったりという声が主流になるのだろうと、半分は期待を込めてなのですが思っています。そのための企業の在り方や個人のありかたにお手伝いが出来たらいいなと。