「だから と でも」

ニュースを見ていると、イスラム国関連の自爆テロや、外国では銃器による未差別殺人、日本でも、無差別の殺傷やクルマの引き殺し事件等、

十年前には信じられないような事柄を「わけの分からない人達」が、「人として信じられないような行動」を感情を表さずおこしている。恐ろしい現実だ。

彼らにとっては、単なる行動に移したにすぎないだけの事なのだろうと感じさせられる。

同類の事件・ニュースを見聞きするたび、絶望的な気持ちになるのは勿論だが、「どうすれば少しでも無くすることが・・・・・・・・・」と、頭を強く衝撃される。

「宗教・信仰」?。これが戦争やテロの原因の大きな要因になつているのは、人類の歴史が証明している。

それから、貧困の格差。確かにあるだろう。ただいつも壁に当たるのは、「個人レベル」からどうゆうことができるかという事。

一つは、「人」として生きていくには、それぞれ個人が、自分に合った哲学」をもち、生きることと思う。

「哲学」と言われると、難しく思うかもしれませんが、個人行動には、深く突き詰めれば必ず「理由(その人の哲学)」がある。

気が付いているかどうかの違いで、大きな差が出てくるという事を再認識する時間を持てれば良いと考えます。

「教育」は少なくても2~30年はかかるし、国の方針から見直さなければならない。

もうすこしくだいて「だから と でも」で考える習慣を付けてはどうでしょうか?というのが今回の提案です。

(疲れたので今日は此処まで。今週中にまとめます)