【14】「妖怪 おたすけ他力」
他人の事をあてにする、力をかりる「他力」という考え方は、
日本ではあまりよいイメージが無いようです。
もともとは、仏教の教えに出てくる考え方で「他力本願」が、基になります。
一人で出来る事は限られています。そこで、周りの方の協力を得て、
物事を達成する。という意味合いがあります。
社会生活をしていく上で、自分以外の人と関り合いを持ちながら、
日々生活をしているのが人間です。このことは誰一人として避けることはできません。
「他力」。大いに結構では有りませんか。助けてもらい、時には自分助けたり。
肝心なのは、相手に何かをする時「助けてやる・助ける」という考えを持たずに、
何らかの行動を起こすことでしょう。
「情けは人のためならず」ですね。それさえも意識の中に無ければ最高ではないでしょうか。
今回は少し私の話をしたいと思います。
7年前(もう7年もたったのか)、病気をするまでは、人の3倍は仕事をこなし、それなりに自信を持って、
何よりも楽しみながら仕事をしていました。
独立をして、会社を倒産させ、婚約破棄にいたっても、健康でしたので、「ワンチャンスで又盛り返せる」
と、変な自信がありました。
それが突然ある日、自宅で動けなくなり、緊急入院する羽目になり、
以来の闘病生活の始まりです。
結論から言いますと、「糖尿性腎炎」で肺に水がたまり、透析治療を受けなければ命の保障はできないといわれました。
「透析治療」の知識は多少ありましたので、「透析を始めるぐらいなら死んだほうがましだ」と、
治療をこばみつずけ、最終的には受ける形になりましたので、こうして生かされていますが、
あと、半日か1日治療を受けていなければ、死んでいたということを先輩に聞かされました。
見栄っ張りなものですから、私の本当の病気のことを知っている友人は2~3人しかいなく、
その友人にも入院したことすら口止めをして、当然のことながら、私の周りからは、人も離れて生きました。(それが私の弱さです)
それでも「こんな姿は知人には見せたくない」との気持ちが強く、何年かは、他の病気との合併症も重なり、
なおさら内に閉じこもるようになりました。(今でのそのけは残っています)。
何でこんな流れの話になったのだろう。
そうそう、そんな私の精神状態でも、一人の友人のおかげで、何とかこうして生きている事ができています。
彼が私を支えてくれなかったら、自殺をしていたことでしょう。
今では、病気とうまく付き合い、何とかこうして周りの人に助けられながら、生かされている間に、
少しでも元気を取り戻し、やり残した仕事と、お世話になってきた人たちへの、恩返しが出来ればと、考え
られる用にまでなりました。(周期的にはまだ落ち込みます・・・・・・・・・笑い)
今の私は「他力」によって生かされており、「他力」を借りて少しでも良い方向にと舵をとっています。
まとまりの無い内容になりましたが、長い人生の中には、そんな時期もあるのではないでしょうか。
「他力本願」。けして悪いことではないと思います。
そして何時か、自分が誰かの「他力本願」のお手伝いが出来るように成ればよいかと考えます。