今年は、少しでも体調の波を少なくして、日々過ごせればと思います。
さて、私が「沖ヨガ」を選んだ理由ですが、3点あります。
1)マンションから道を挟んで2~3分のところにあったのが第一の選択理由でした。
歩くことにも不自由になりつつあった当事としては大切な選択肢でした。
ヨガじたいは、二十歳の頃、空手で傷めた腰の治療法として、本を見ながら
自分で真似事をしていた経緯がありましたので、抵抗はありませんでした。
2)いろいろ調べ、無数にあるヨガ教室の源流が「沖ヨガ」だとわかったことです。
大げさではなく、今、日本中で行われている「ヨガ教室」等は、何らかの形で
「沖ヨガ」から枝分かれをしているということです。
このことって非常に大切なんですよね。
たとえば、プロレスラーのジャイアント馬場さんは、「楷書も満足に書けないで、崩した字を書く人が多す
ぎる」と、ご自分ではいつも楷書を好んで書いていたそうですが、「基本がしっかりした教え(指導)の上に
成り立っていないと、誤ったことを教えられたりブレたりすると言うことです。
この事は、私の実家が「筆耕」という職業柄、書道の「永字八法」。そして、千字文の「楷書から行書、草
書」へと、修行の段階があるのを、子供の頃から身近に親の仕事を見て身にしみていたことでした。
楷書のかけない人が書いた「崩し字(デザイン文字)」は、見る人が見るとわかる物なんですよね。
そんな「沖ヨガ」の教室が自分の住んでいるすぐの所にあるという事に、「縁」を感じずにはいられません
でした。
3)これは後付けの感もあるのですが、指導をしていただいている山田先生への信頼感の大きさです。
今だから言える事ですが、「もし、指導の仕方が納得いかなかったら、3ヶ月だけ我慢をしてやめてもい
いだろう」という気持ちが有ったのも事実です。
この点に関しては、大きく良い意味ではずれ(笑)、今現在まで感謝の気持ちを持ちながら、教室へ通わ
せて頂いています。
教えを受け始めてから、まだ一年弱ですが、基本中の基本、「心と体のバランス」を常に考えながら指導
を受けています。有り難い事です。
余談になりますが、山田先生から進められた「ヨガの喜び」(沖 正弘書・光文社文庫)の中に、
「宇宙や自然は、人間に対して必要なものだけを与えている。病気になるときは病気になればいい。今あ
なたに与えられているものが、今あなたにとっていちばん必要なもの、いちばん価値がありものである」。
と書かれているところがありますが、私自身、6年前から「人工透析」を受ける道なり、いまだに悶々として
いる自分に悩んでいます。
「沖ヨガ」の教えを通して、少しでも心身ともに、前向きに生きることを自然に出来るようになれればと考え
る日々です。
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「広辞苑拾い読み」
かいれい・・・・・・・・・すぐれて美しいこと。
めったに出会わない美しいもの。
人なり、仕事なり、本なり等々、そんな出会いと、今年いくつ「縁」が出来るかと思うと、自分自身を少しでも成長させなければと思わせてくれる言葉です。