論文 | しゃけ(元捨毛法師)の大学日記

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社会人一年目。

元marchのどこか
2021年3月卒業しました。

今卒論を進めています。1月の中旬に締め切りがあるので、それまでにしっかりいい内容のものを書きたいです。

 

今回、露骨に学部の卒論集で賞に選ばれることを狙っています。

そこで、どんな論文が過去に評価されたのだろうと見ると、意外な発見が。

 

入賞したものに限らず、参考文献に論文を用いている数と割合がやたらに少ないということ。

 

個人的なイメージとして、文学や法学ですと本を参考文献に挙げると思っていたのですが、分野関係なく論文を用いているものがすくないんですよね。

 

ちょっとそれってどうなんだろうと思ったりします。

 

特に、経済や経営学の論文を今までいくつか読んできた自分としては、同じ分野で本ばかりを用いて論文を書くことに対しては批判的です。

 

定義付けとしてはずれていますが、そのような文章はレポートのようなものではないかと思うんです。

 

というか先行研究を探す中で、論文を参照しないわけがないと思うんですよね。

 

調べてないんでしょうか。ネットで読める論文ですら、日本語の大量の論文がありますし、英語になればその数は何倍にもなります。

 

大変、めんどくさい、難しいですが僕は先人たちの研究をできるだけ知るためにも学士なりのしっかりした卒業論文を書こうと思います。

 

 

ついでに言えば、これも分野により違いはありますが、アンケート形式でそれをデータとして用いる定量調査ならば、学士論文でも数百から千のデータを集めるべきではないでしょうか。

 

私の学部には大学3、4年生という非常に限定した年齢で70程度のデータで論文を書いているものがありました。

 

データを取る際の条件付けもなされていないのに(例えば両親が離婚している、男子校出身など)、その数は少なすぎる。

 

あまりに杜撰な卒論が多くて辟易します。私の学部が情けないのなら、逆にむしろ救いです。

 

卒論をちゃんとやらないから全員劣等生ではないですが、逆に彼らは他になにか秀でた才能や努力の賜物があるのでしょうか。

 

私にはありませんから、学問を自分なりに修めるために、論文を執筆します。

 

事実、内容を書こうとした時に、定義付けを正確にするために、今までの知識を洗い直す工程もありますし、有意義なものとなると思っています。

 

学問が仕事で役に立つとかそういう話じゃないよなあと。その批判は的外れだと思う。

 

せめてまともにやってから、批判したいものです。

 

ちなみに数年間の論文集に目を通して、笑ってしまったのは、〇〇の是非を書くのに、主張を最終章とその直前1000文字程度しか記述していなかったことです。

 

その論文は否定的な意見を持っていましたが、〇〇についての説明が大半でちょこっと批判を書いて、〇〇へは慎重に対応しないといけないと締め括っていました。

 

間違ってもこういう論文にはならないようにしたいです。

 

こんなこと言ってしょうもない論文を書いていたらダサいですからね。