コミュニケーションの在るべき形 | しゃけ(元捨毛法師)の大学日記

しゃけ(元捨毛法師)の大学日記

社会人一年目。

元marchのどこか
2021年3月卒業しました。

って難しくない??

在るべき形というかどう在るべきなんだろう。

もちろんサークルとかでバカ話をするのはいいんだ。強いて言うなら疎外感を与えないようにみんなを巻き込んだりするくらい。

ただそれが真面目な場なら??

(ゼミについては語りつくせぬことがあるのでここではパス)

真面目なことを議論するときに(飲み会などで)、どう言う話をチョイスすべきか。


なぜこれを書いたかって、僕が疎外感を感じた時があったからです。

その時は、ある一定の人がわかる話だけをしていた。さらにそれが別に深い議論ではなく、懐かしむ話ようなばかり。

これはいじめでもなんでもなく、当たり前に起こることだけど、自分の前提を周りの人に当てはめてしまっている。

だから、これ知ってるよね?ってペースで進んでいく。

いや、周りでも理解してる人がいればそれだけそうなりやすいんだけど、その知識を知らずに話せるようなテーマにして欲しいんだよね。


しかもその話をしていたのは、東大の教授と昔東大の研究所にいた人だし。

なおさらショックである。


僕もそういうの気をつけないとなあと思ったけど、その時は耐えられなかったので即帰りました。

損切りがまあできたかなと。


今日もそういうことになれば即帰ります(とはいえその度1000円は飛んでいくのが辛い)


この話から導き出せるのは、内輪での馴れ合いは良くないよねって。


まず思い出話から得られる話ってそもそもあんまないよね。

そういう話をしてれば楽しくなれるしいいかもしれないけど、他の人もちゃんと考えようと自分は思う。



あ、でもその場の捉え方によるね。

それを思い出話を懐かしむ馴れ合いの場だとするなら、全く問題のないことだね。


ただ僕は少なくともその飲み会に、馴れ合いのために行っているわけではない。

それはおそらく多くのバックグラウンドを持つひとが思っていることだと思うがね。

ちょっと口が悪かったような気がするのは申し訳ない。

ただすごく残念だったからね。


では今日はここまで。