おやじはコロナ真っ只中、2020年夏に入院した。面会なんて、一切できなかった。手術前、手術直後だけ。でも、どうしてもオヤジと相談しなければいけないことがあって、先生に頼んだらOKしてくれた。面会らしい面会は、そのときのみ。


おやじはよく3ヶ月も、実家から離れた大学病院にひとりで入院して、ふてくさらず、寂しさに負けずリハビリ頑張って、あそこまで回復して退院したもんだなと思った。


おやじは、本当に頑張ったんだなと、今日、心から思った。私は今、おやじをみんなに自慢したい。私のおやじは、本当に頑張り屋だった。リハビリのない土日は、ひとりで大学病院の中を歩き回って、自己リハを欠かさなかった。誰も面会に来ないのに、誰に褒められるわけでもない、励まされるわけでもないのに。退屈だと思って、土日電話すると、いつだって自己リハ中だった。おやじは、諦めなかった。良くなることだけを信じていた。


面白いのは、頑張りすぎて、コロナだからって自分の入院してる棟から出ることは許されなかったのに、脱走して最上階にも行って、一階にも行って、杖をついてピコタラ歩いてたら、看護師さんに見つかってしまい捕獲され、強制的に病室に連行された。お母さんは、呆れていたけど、おやじは看護師のモンク言ってたけど、娘の私と姉ちゃんは、さすがバカおやじだにゃーって大爆笑だった。


そして、私もえらいと思った。笑

会えないのに、あの3ヶ月、毎週火曜日、山大に通い続けた。下着を届けるふりをして、ボストンバックいっぱいに、おやじの好きなものを詰め込んで、届け続けた。おやじは右半身麻痺、長い車イス生活だったから、病院のコンビニにも行けなかった。だから、おやじの好きな食べものを毎週配達した。






おばちゃんと、

おじちゃんのお見舞いに行った。


きっと、病院のあの真っ白い天井を眺めてるだけなんだろうなと思った。病室に行ったら、やっぱりおじちゃんは、私の嫌いなあの病院の真っ白い天井を眺めていた。



私に気付いた瞬間、

🤩❤️この顔になった。


自分で言うけど、おじちゃんは私のことが大好きだ。血の繋がりはないのに、それでも私と姉ちゃんを本当の娘みたいに可愛がってくれるおじちゃん。だから、私も姉ちゃんも、おじちゃん大好き。昔、おばちゃんがいないのに、おじちゃんしかいない家に泊まりに行ったこともある。高校生のときは、実家がいやで、おじちゃんちに下宿させてもらったこともある。バイト終わり深夜に帰ると、おじちゃんがいつも私の寝る部屋をポカポカに暖めてくれていた。


かっぱがお見舞いに来ないからさみしかったーと言った。おじちゃんは、いつも可愛い。


おじちゃんは今日も血の繋がりはないのに、義理弟であるおやじの話ばかりしてきた。あんなにいい人が、俺の大好きな○○が、もっと酒一緒に飲みたかったとか。俺もこんなことになってしまった、、というので、


なに言ってだな!笑

おじちゃんこんなに元気だんがら、そんな自分ば病人みたいな言い方しないでや!笑笑


って突っ込んだら、笑ってた。


おばちゃんがいなくなったら、

かっぱ、ばばのこと見に行ってけろな。俺いなくて、さみしいべから。

と、おじちゃんが言った。


おじちゃんに、長期戦になるのは確実だけど諦めないで必ず家さ帰ってきてな。おじちゃんいないと、私どうにかなっちゃう。ムリ。って伝えた。


おやじと本当に不仲だったとき。実家に帰らなくなった私は、頻繁におばちゃんおじちゃんちに行くようになった。実家より、よっぽど居心地が良かった。休みの日は、毎週みたいに2人を私の車に乗せてランチにいった。だから、さみしくなかった。


おじちゃんに、絶対おじちゃんちに帰ってきてほしい。おやじにはコロナのせいで、入院する度さみしい思いをさせてしまった。最後なんて、ひとりぼっちにさせてしまった。


おじちゃんには、いっぱい会いに行こうと思う。必ず復活して、帰ってきてほしい。


コロナが憎いと思った。

いま、面会できるようになって、

本当に良かったと思う。