また弱音を書かせて下さい





母が亡くなってから
実家で父と過ごした数日間は
泣いてばかりの毎日だったけど

父と私のマンションに
帰ってきてからは





むしろ
泣いてない




子ども達の朝食を作り
その間に
父は新聞を取りに行きながら
ゴミ捨てを担当
(実家でもそうしていた)
子ども達を見送り
父と朝食
母の作っていた様に
和食を作る

何だかんだと
役所関係やら
やる事を父とやり

一緒にスーパーへ行き

子ども達の食材と
父と私のツマミを考える

子ども達のお陰で
笑う事も多く

家事すらも
ありがたい



でも


私の中の
幼い私が

ずっと母を求めている




順番とはいえ

親が先に逝くのは
親孝行でもあるのは分かっている

それでも私はずっと
若い頃から
その時を恐れていた


結婚した時も
(離婚しましたが)

いつか来る両親の死を
自分1人では
到底受け入れられない
自分の「家族」ができれば
乗り越えられると思った

事実その通りで

息子達の存在が私を
悲しみから
引き摺り上げてくれている



だけど

もう一度
母に「みーちゃん」と呼ばれたい



母は実家のリビングで
寝ている間に亡くなった
(歳による病気の薬の影響で
夜中にリビングでうつらうつら
している事が多かった)

キッチンには
母が最後に吸ったタバコがあった

少し前に実家に帰った時に
キッチンで育てていた
人参達が美しく伸びていた

その日に着ていたコート
履いていた靴下
使っていたバック

全てそのままだった




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でも
母はもう居ない


子ども達や父の前で
泣くのはあまり良くない

そう思い
笑っている
無理している訳でもない



タバコが大好きだった母は
出先でも私を誘い

「みーちゃんタバコ行こ」

と2人で喫煙所を探した

朝と夕方に
タバコを添えている

お母さん
一緒にタバコ吸おうね

笑いながら
話しかける




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遺影は私が選んだ
少し?若い頃の母らしい写真




駆けつけた病院で会った母は


一生忘れないだろう




泣き喚きたい

でも
できないでいる

笑っている


お母さんに会いたい