劇団四季 | 鴻上久美子 オフィシャルブログ 「Kumiko Kougami」 Powered by Ameba

劇団四季

久しぶりのブログです。
今日は大変お世話になり、沢山のことを学ばせて頂いた「劇団四季」について書きます。

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〈劇場入口・本日の日付〉

2017年5月28日、本日浜松町にある四季劇場『春』にてロングラン上演されているライオンキングが竹芝地区の再開発に伴い閉幕されると言うことで、ファイナル公演見納めして来ました。

この劇場には沢山の思い出があります。隣の『秋』劇場ももちろんのこと、出演させて頂いたこと、沢山の勉強をさせて頂いたこと、退団後もお客さんとして足を運んだこと。細かく言い出せばキリがないくらい沢山の思い出がぎっしり詰まっている劇場です。劇団にも作品にも、関わった人々も全てに思い入れが強くてみんなが大好きで、色んなことを思い出して観劇中は涙が止まりませんでした。

1998年にこの劇場が開幕。この年私は高校3年生。この年の夏に劇団四季のオーディションを受け合格しました。
学校については前回のブログでも書きましたが劇団四季に在団されていた先生方のご指導の元、3年間ミュージカルについて学んでいたので、その授業の一環で四季の作品をいくつか観劇したことがありました。
一番最初に観劇したのは当時赤坂で上演されていた『美女と野獣』。これは私が高校1年生の時だったでしょうか、私にとっては生まれて初めての劇団四季でした。バレエ一筋だった私はバレエ以外に触れたことがほぼなかった為とても衝撃でした。初めて観た時に『この劇団に入る!』と決め、志し、いつしかバレエ一筋から…

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〈バレエ一筋だった頃・中学一年生だったかな?〉

バレエ一筋から、劇団四季一筋になりました。そして高校3年生の時にライオンキングを観劇。冒頭から涙が止まらなかったのを今でも覚えています。

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〈高校の卒業公演〉

翌年1999年春、高校を卒業し、4月に研究生として入団。その年の秋冬頃から徐々に舞台に立ってゆきます、最初に『アスペクツオブラブ』のジュリエッタに名前があったのはビックリでしたがほぼ同時期に『コーラスライン』のクリスティンにも名前があり、クリスティンの役を勉強。他には『コンタクト』のピンクドレスとか、色んな役を勉強しました。初舞台は旅公演で全国を回りました。
ライオンキングは翌年の2000年から出演させて頂きました。大阪に滞在し、大阪MBS劇場でも出演させて頂きました。今から17年前!我ながらビックリです。

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〈出演させて頂いていた頃の写真、今もなお仲良しの千穂と。〉

『春』劇場は、18年のロングラン。ライオンキングではアンサンブルの10枠、主にはチーターを演りました。チーターを研究しまくって、毎日チーターの映像や写真を見たり、四つ足動物の歩き方を研究していかにチーターに近づけられるかと、色々と研究しているうちにチーターが大好きにもなりました。
当時ナインティナインの2人がいらして岡村さんが出演されたり、そんなこともありましたなぁ〜。
そして観ながら、出演中のことを思い出し、最後の対決のシーンでリフトからの着地が上手くいかず靭帯痛めて終演後足首がテニスボール玉くらいに腫れたこととか、王様になりたいのナンバーではキリンに入りながらも精一杯笑顔でお客様に楽しんで欲しい気持ち一心で演っていたこととか、色んなことを思い出して、とにかく『舞台に立てる』ことだけが何よりもの喜びだったなと、今日は観ながら色んな気持ちになっていました。

もちろん演じてみたい役、ありました。一番最初に観た『美女と野獣』のベル、『キャッツ』のジェリーロラム=グリドルボーン、そして『ライオンキング』のナラ。中でもナラの歌う♪シャドウランドは当時何度も浅利先生に聴いて頂いていました。劇団での練習はもちろんのこと、劇場でもロビードアと客席ドアの間のスペースなんかで練習したり、劇場のロビーや客席でも台詞を練習したり、色んな思い出がいっぱいあります。結果的には役を掴むことは出来なかったけど、夢に向かって進んでいたことは懐かしいく、誇らしいです。

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〈ナラのシャドウランドをアンダースタディでやっていた時の浅利先生からのダメ出しの紙〉

「蹴落とせ社会」と言うけれど、どうしても私は蹴落とせなくて、いじめはいじめるよりいじめられる側、舞台に関してはどんな役でも舞台に立てることが何よりの喜びだったから、今も変わらないけど、ほんわか?ふんわり?しちゃって、、もっともっと貪欲にあるべきなのに、ぶっちゃけ、本音を言いますと、そこは今もなお悔しいところでもあります。でもそれが私の生きた道。誰が何と言ってもこの自分の生きた道は、誇らしく思えるので良いです。きっと一番の理由は母。

初舞台は全国ツアーだったので、北は北海道から南は(残念ながら沖縄には行けなかった)鹿児島・種子島まで、巡業に行かせて頂きましたが、母は私の一番のファンでした。チリから日本に嫁いで、言葉も通じない異国の地で私を育て、私がやること全て応援してくれました。一緒に泣いて一緒に笑って、、そんな母は私がどこにいて何をしようとも全てを応援して、全国ツアーもほぼ来てくれたんじゃないかくらいに来てくれて、ライオンキングも大阪も含め、何度も劇場に足を運んでくれました。愛に溢れた愛いっぱいの母です。

今日はそんな母と並んでの観劇でしたが、母も泣いて、時には私の手を握って、母も母で色んなことを思い出したみたいでした。もちろんその後の舞台もニャンちゅうも、変わらず応援してくれたのは言うまでもありません。

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〈ライオンキングのナンバーたち〉

ミュージカルが苦手だと言う方もおそらく沢山いることでしょう。タモリさんとか「突然歌い出すのが違和感ある」なんてテレビで言っているのを聞いたこともあります。私は元々バレエが好きで、バレエはマイムと言って、手話のように手で表現する手法があります。「耳の聞こえない人でも理解出来る芸術だ」とバレエを始めた当初そう言った部分でも虜になりました。そこから演劇科の高校に入り、歌を通して表現出来ること、お芝居で表現出来ること、と、段々に表現の幅が広がって行くのを知ると共に自分の表現したい気持ちも大きくなって、ミュージカルが大好きになりました。

劇場の一体感、強いメッセージ、観る時の自分の状況の変化によっても感じ方はまた違って、毎回響くし、心の洗浄と言いますか、劇場を出る時には心がピカピカになってしまう不思議。演じる者のひたむきに頑張っているその姿、真っ直ぐな瞳。心がふわってなりました。

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〈大好きな浅利先生と。2年前の写真〉


ライオンキング、好きな台詞

◆ティモン「過去に背中を向けなって、悪いことは起きるんだ、どうすることもできねぇ、そうだろ?」
シンバ「そう」
ティモン「じゃねーんだな、世間に見捨てられたら世間をみすてりゃーいいってことよ」
シンバ「知らなかったな」
ティモン「だったら今覚えりゃいいじゃねーか、ハクナマタータ、気にするなっていう意味」

◆ラフィキ「人生は続いてゆく」

◆ラフィキ「過去とは痛いものだ、だが道は2つしかない、過去から逃げるか、学ぶか、お前はどうするね?」
(これは後に、ウォルトディズニーの言葉であったと知る)

◆シンバ「それは過去と正面から向き合うことを意味する」

そしてシンバは過去と向き合い、プライドランドに戻ります。

そして「歴代の王達があそこ(星空)にいてお前を見守っている」ナンバー♪He lives in you では先日亡くなられた日下さんのことや、同じく劇団の諸先輩方、プンバァ役でいつも優しく接して下さったアニメでもプンバァの声を担当された小林アトムさん、個人的ですが、チリのおばあちゃんや、バレエの恩師、沢山の方が過り涙で溢れてしまいました。みんな「お前の中で生きている/He lives in you」

作品も劇場も思い入れが強過ぎるんですね、きっと、私。この劇場・作品に関わった全ての人、キャストもスタッフも、どれだけの人数になるんだろう…私もこの劇場・作品に関わらせて頂けた1人として、とても誇りに思うと共に喜びの気持ちでいっぱいです。

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〈あと0日・終わりました〉

関わった全ての皆様、全て、全てに、どうもありがとうございました。