私のルーツ・私の宝物・永遠に | 鴻上久美子 オフィシャルブログ 「Kumiko Kougami」 Powered by Ameba

私のルーツ・私の宝物・永遠に

久しぶりにブログを書きます。久しぶり過ぎて何だかオロオロあせるどうしても書きたくなったので、久しぶりにアメブロを開きました

12月3日、川口にある総合文化センター・川口リリアホールへ、母校の卒業公演を観に行って来ました。

卒公は何度か卒業後も行ってましたが、今回は特別。と言うのも、母校の関東国際高校・演劇科は今回の公演を以て閉幕するからです演劇

演劇科が始まったのは1984年、「演劇を学校教育の正課に」と劇団四季の浅利慶太先生の理念に基づき、日本で初めて【演劇科】が誕生しました。

劇団四季などでご活躍された長澄修先生・桃子先生が講師として33年間ご指導下さり、そして33年間全ての公演の演出、振付も先生方がされました。

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(写真は川口リリアホール客席。中央に花束を持った修先生がいます。桃子先生はその左側に。)

台本は劇団四季の作品をお借りして14期生まで劇団四季の作品を上演。私は13期生だったので、劇団四季の「雪ん子」という演目を演らせて頂きました。そして、15期生以降は桃子先生の叔母・角野栄子さん(「魔女の宅急便」の原作者さん)からのご紹介で出会われたと言う岡田淳先生の作品を上演。

最後の演目は「放課後の時間割」

私たち演劇科は一般科目に加え、演劇に纏わる授業、実技・声楽・ダンス・演劇史などの授業もあったため、8時間授業の日もありました。

私が高校生だった当時、ルーズソックスや携帯電話が普及していた頃だったのもあったし、ただでさえ思春期真っ盛りで遊びたい年代であろうだったはずだけど、朝は早くに行って朝練、午後は8時間授業終えた後の放課後にスタッフをやったり技術アップのためレッスンに励んだり、そんな毎日にもちろん遊ぶ時間はなく、むしろ遊ぶことはそっちのけ、存分にのめり込んでいた為脳内100%演劇科でした

この作品、まさに我々演劇科。

真ん中で語るネズミが修先生に重なって見えて、あらゆる場面は今までの卒公のことを連想し、雪のシーンでは雪ん子(私が卒公で演らせて頂いた作品)を思い出したり、観ながら何だか色んなことと重なりました。

学校では演劇に関わる全てのお芝居・ダンス・歌唱などの技術を学ばせて頂いたのはもちろんのこと、で・す・が、それ以上に

助け合うこと、
支え合うこと、
励まし合うこと、
奉仕の心、
感謝の心、
大きな声で返事をすること、
笑顔で挨拶をすること、
掃除、
初心を忘れない、
傲慢にならない、
先輩から学ぶこと、
後輩へ伝えること、

シンプルだけどとっても大切なことを高校時代の思春期真っ盛りだった私達が学んだことは今もなお胸に深く刻まれ活かされております。

そもそもなぜ私がこの高校に入学したか?バレエ一筋だった私は「海外へ行ってバレエ一色の人生を歩むんだ」と憧れ勝手に思い描いていました。なので高校進学の頃、高校進学よりも海外へ行きたい気持ちだった私ですが、ある日担任の先生から「一分一秒でも長く踊りたいと言うあなたに、とっても素敵な高校を見つけたわよ」と、関東国際高校演劇科を紹介して下さり、バレエに必要な表現方法を貪欲に学びたい気持ちで一杯だったのもあって「そんな素敵な高校があるのなら!」と、この高校に進学しました。

鴻上久美子という人間がここで形成されたと言っても過言ではない、と言うくらいに鴻上久美子の根っこ・幹となる部分が出来上がりました。とにかく濃い3年間でした。

演劇科を選んで入った個性溢れるメンバーたち。皆口を揃えて演劇科への感謝の気持ちを口にします。

そんな中、今から3年前、演劇科の募集が停止。それを知った時、ビックリと同時に受け入れられずにいました。ずっとずっとあるものだと思っていたから。でもどんなものにも「始まり」があって「終わり」がある。。そうは言っても受け入れ難かったです。

けれど11月25日に母校の体育館で行われた体育館総稽古のゲネプロを拝見しに行った時、修先生・桃子先生とお話した際、これは「終わり」ではなくまた新たなスタートの「始まり」なんだとおっしゃっていたのでとても前向きになれました。

けれどもやっぱりこの川口リリアホールで、卒公を観ながらこの演劇科が卒業公演をすると言うのは最後の最後なんだ、と思うと上演中どうしても涙が止まりませんでした。我らのホームがなくなる、まるで誰かが亡くなると言う感覚にも近く、涙が溢れて止まらなかった。

公演翌日の朝、起きて鏡を見たら目がとっても腫れたのは言うまでもなく。。

最後の31期生も、演劇科の魂を引き継ぎ、キラキラと輝いていました。お芝居・歌・ダンス、精一杯真摯に演じる姿は、観るものの胸を打ちます。これはいつ観てもそう、だからこそ卒業した我らも刺激を受け初心に戻るのです。

バカにされようと、何を言われようと、自分の信じる道を糞真面目にやる。それがどれ程凄くて素晴らしいものか。

今から18年前の私もこのステージに立って不器用ながらにもがいて、真摯な心で輝けていたのかなと31期生を観ながら当時の自分と重ねて観てました。あれから人生の倍生きてるんだなぁ…

川口リリアホールは3階席まであり、座席数が、2,002席。こんな贅沢な劇場で立たせて頂いてたことにも改めて驚きと感謝です。

高校3年間は、1年生は徹底的に裏方・スタッフを、2年生では先輩をスタッフとして支えながら自分も演者として舞台に立ち、3年生では演者として役に打ち込み憧れのリリアホールの舞台に立つことを夢見て取り組む。

しかし今の31期生には後輩がいない。11月上旬、お稽古も拝見させて頂いてたのですが、皆お稽古しながら、自分の出てないシーンの時にはスタッフをやると言う光景を目の当たりにし、複雑な気持ちになりました。もちろん卒業生もお手伝いに来ていたりもしていたのだけど、基本はお稽古とスタッフの両方。私も「何でもいいのでお手伝いさせて下さい」と志願。31期生の大変さが伝わって来るのにキラキラ輝く皆の姿に逆に元気を貰ってしまいました。

そして本番。皆のキラキラ輝く姿は最高の輝きを放っていましたよキラキラ眩しいくらいに。

最後の卒業公演の幕が降り、「終わったのか、帰らねばならぬのか…」と、重い腰を上げようとした時に、サプライズが!公演最後のフィナーレが始まりました。今までの卒公・1期生からの作品の音楽がオムニバスで流れ、客席はみんなが口ずさみ、まるで大同窓会 物凄い一体感。そして舞台俳優でご活躍されていて、演劇賞を受賞されている我らの先輩、3期生の吉野圭吾さんや、映画・テレビ・舞台でご活躍されている我らの先輩、4期生の堀内敬子さんはじめ、卒業生1期生〜6期生の先輩方がステージに上がって歌うというパフォーマンスもあって、劇場はさらなる一体感でしたキラキラ

同期や先輩・後輩の懐かしい顔ぶれにもとても懐かしくとても嬉しかったです。

高3の夏に受けた劇団四季オーディション、合格。四季での舞台、その後色々経てNHKニャンちゅうお姉さんもやらせて頂きました。どこへ行って何をやっても演劇科で学んだことはとても大きいです。

演劇科よありがとう。修先生桃子先生、ありがとうございました。演劇科で出会った全ての人、全てのことは私の宝物ですキラキラ

演劇科は永遠にキラキラずっとずっと輝き続けますキラキラ

I LOVE 演劇科


これはYouTubeで発見したもの。桃子先生作詞の演劇科のテーマソングですキラキラ13期生の雪ん子に私も映っていました

今回同期と連絡取り合ってみたものの、それでも連絡先が分からなかったりした子もいました。みんなみんなに会いたいな、今回会えなかった同期や先輩も後輩も。

輝かしかった高校時代。それから倍も生きてると、あの頃に戻りたいなとか、思うこと多々あるけど不思議と高校時代の3年間に関しては、やり切った感があって、思い出として心の箱にしっかりしまえてます。

あの頃に戻りたいなって今の私が昔の私を羨ましく思う時があるように、きっと未来の自分も今の自分を羨ましく思う日が来るかもしれない。それなら今の自分が最高に羨ましがられるように最高に過ごさなくてはなと思います。

いつも思っているのは「もし今の自分が100歳だったら。」

今の私はまだまだ若い。そしてこれからの人生の中では一番若い。ってね。

本当言うとね、タイムマシンでもあれば戻りたい時に戻って、会いたい人がいるのですよ。戻りたくても戻れないもどかしさとは闘うけど、タイムマシンがないから、今とこの先を精一杯生きていかねばね… 嗚呼何だか感慨にふけってますが…

何度か高校のことはブログに書いたことありましたし、そして長く熱く語ってしまいましたが、書かずにはいられなかったので書きました。

ありがとう。

それではまたね